吉兆の使者
それをみ知っている土方らは、眼前のそれをただ茫然とみつめていた。それは、日の本の漢たちだけでなく、同族であり孫のイスカやワパシャのみならず、クレイジー・ホースも同様だ。
うちなるものをこうも簡単によびだせるとは・・・。
『ふんっ!あいかわらずまわりくどくてしつこく、陰険な登場の仕方だな、愚息どもよ』
依代の意識が封じられているいま、もはやスー族の作法に従う必要はない。土方が口唇を開こうとした刹那、ティーピーの入り口にかかっていた垂れ幕が、地球の引力に引き寄せられた。つまり、どさりと鈍い音とともに落下したのだ。
全員が入り口に注目した。全員が等しく、だ。
夕焼けと宵闇の差異を背に負い立っているのは、人間ではなかった。ふさふさの白い毛に覆われた四脚の獣であった。
『白き狼・・・』
クレイジー・ホースは、部族に伝わる吉兆の使者である獣を目の当たりにし、思わす口唇の外に言の葉を落としてから、不作法をしでかしたことに恐縮した。
『父上?』
『父上?』
上座から、そこに座すうちなるものたちが同時にいった。
『悪いか、愚息ども』
白き巨狼は、ふんっと鼻を鳴らしながらゆっくりと四肢を動かしすすめた。ティーピーのなかを、じつに優雅に歩んでゆく。その堂々たる風格は、本物の狼神のようだ。
と、日の本の漢たちは、ある意味感心した。
『本物の狼神だ、悪いか、馬鹿息子ども』
眼前に座すワパシャの頭上を跳躍して飛び越え、円のなかをすすみながら、両脇の武士たちを睨みつけてゆく。
土方のまえをとおりかかったとき、白き巨狼は四肢をとめ、体躯ごと土方に向き直った。それから、尻を地につけた。二度、三度と、白くてふさふさした毛におおわれた尻尾が土を掃く。
ティーピーは、地面の上に車座に人間が座すための敷布があるが、それ以外は土である。
『わが主よ、様子をみにきた。わが愚息どもが、みなに不調法を働いていなければいいがな・・・』
『いや、たったいま降臨されたばかりだ。なにかされる暇もねぇよ』
土方は苦笑した。これまでの真剣な場面が、一転して喜劇になってしまった。
だが、そのおかげで緊張や気負いが嘘のように消え去った。
『なんと!登場はもっとあとのほうが効果的であったな』
尻尾で地面を掃きながら、白き巨狼は嘯いた。上唇をあげ、人間のようににやりと笑いもみせた。
土方だけではない。みな、いつもの調子が戻ってきた。
だれかが噴出した。とたんに全員に浸透してゆく。イスカもワパシャも同様だ。クレイジー・ホースまで口の端をわずかにあげ、苦笑している。
『さあて、愚息どもよ。忠告は一度だけだ。すぐにやめよ』
白き巨狼は、尻をあげると同時につぎは上座へと向き直った。
その警告は、獰猛な肉食獣の唸り声とともに発せられた。