お宅訪問の作法(マナー) インディアン編
ひときわ大きなティーピーの入り口にかかったバッファローの毛の覆いのまえで、クレイジー・ホースは咳払いをした。しばしの後、なかから嗄れ声がきこえてきた。それを合図に、クレイジー・ホースは垂れ幕を右の掌で上へあげ、なかへと入っていった。
その後ろにイスカが、それから土方ら日の本の漢がつづいた。そして、最後にワパシャが入っていった。
ティーピーの奥、上座の位置に、二名の老インディアンが並んで座している。クレイジー・ホースは、迷わず右側へよった。そこでしばし立ったままの姿勢でいると、上座の老インディアンの一人が無言で頷いた。すると、クレイジー・ホースは、その場に腰をおろし、胡坐をかいた。その後にイスカ、そして、土方、永倉、と順番に座してゆく。腰の得物は、鞘ごと抜き取り、日の本の作法にしたがい、左太腿の側に横たえさせる。無論、斎藤は右側だ。
後から入った者は、先に座した者の後ろを通り、座している者は通りやすいように体躯を屈めたりよけたりしてやる。順に円を描いて座してゆく。先に座した者は、胡坐をかいた姿勢で待った。
すべてが無言のうちにおこなわれる。
イスカは、ティーピーでの作法のすべてを、心中で仲間たちに指示した。
便利なものだと、イスカは心中で微笑みながらいった。
いま、ティーピーのあるのは荘厳と静寂のみ。それ以外のなにものもない。さしもの土方も、好奇心より畏敬の念をもって上座に座す二名の老インディアンを感じていた。そう、まさしく、みるのではなく感じる、というのが妥当か。
蝦夷でアイヌの長老も、おなじような雰囲気をもっていた。
ワパシャが胡坐をかくと、円が完成した。
静寂は、けっして居心地が悪いものではなかった。むしろ、このままこの静寂に心身を委ねたいとさえ思えるものだ。
年長者、つまり、このティーピーのなかにあっては、このティーピーの主人であり、老体である二名の「偉大なる呪術師」が口唇を開くまで、何人たりとも口をきくことはできない。
短いようで長いようで、ときの感覚がつかめないまま、確実にそれは刻んでいるだろう。失礼にならぬ程度に、土方が上座の「偉大なる呪術師」たちに視線を向けると、あちらも土方をみていた。
二名の四つの瞳。そのうちの二つは、金色の光をたたえるに違いない。土方自身の息子と義理の兄とおなじように・・・。
『歓迎する、日の本の武士たちよ』
血のような真っ赤な羽根飾りを頭上にいただくほうの「偉大なる呪術師」がいった。いった、というよりかは、一人一人の心に直接語りかけるかのようだ。
『待っていたぞ、日の本の戦士たちよ』
闇のような真っ黒な羽根飾りを頭上にいただくほうの「偉大なる呪術師」が、やはり、各々の心に直接語りかけてきた。
それらは、れっきとした英語であった。
「偉大なる呪術師」たちは、皺だらけの相貌に柔和な笑みを浮かべ、遠き西の国からやってきた客人たち一人一人を、なめるように眺めたのだった。