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忍び寄る甘い恐怖

 最終寄港地の紐育ニューヨーク港まであと数週間。

 この「The lucky money(幸運の金)」号の持ち主であり船長キャプテンでもあるニックの頼みで、真剣による奉納の演武と試合を行うことになった。

 奉納の演武は、神道無念流から永倉と相手には厳周が、北辰一刀流から藤堂と相手として斎藤が、心形刀流から伊庭と相手に厳蕃が、唯心一刀流から相馬と相手に野村が、天然理心流から沖田と相手に斎藤が、疋田陰流から土方と永倉が、柳生新陰流から柳生の親子が、それぞれ行うことになりその稽古に余念がない。

 そして、その後の試合では木刀と、勝ち残った四人二試合においては真剣で行う。これには若い方の「三馬鹿」も参加させてもらえるということで、市村などは天候とは裏腹に燃えに燃えまくっていた。そして、この試合に柳生の親子もでるということもあり、永倉と沖田、そしていつもは冷静な斎藤までもが燃えていた。


 演武とは、各流派によって異なるがたいていは年初にその流派が信仰、もしくはその道場と縁のある神社仏閣に奉納する一種の儀式のようなもので型が決まっている。だが、真剣で行う為互いの息を合わさねば下手をすれば怪我に繋がってしまう。土方などは永倉の手厳しい指導の下、必死に練習に励んでいた。このときばかりは眉間に刻まれる皺も土方より永倉のほうがよほど多くそして濃く深くなっていた。


「副長っ、違うっ!」「副長っ、こうだっ!」という永倉の叱咤の横で、その副長の愛息が育ての親相手に木刀を振りながらなにゆえか「だめっ!だめっ!」と気合の声を発している。

「総司っ、てめぇっ、またおれの息子にくだらねぇ言葉教えやがったな!」

 土方の怒声が甲板上どころか海上にまで響き渡り、仲間たちは笑いをこらえるのに必死だ。

副長・・、なにゆえおれが?みなの心中の言葉があなたの息子に届いたのでは?」にやにや笑いで返す沖田の横で、斎藤も口の端をむずむずと動かしながらも真摯に「おれが正しい掛け声を教えましょう」と提案し、生真面目に実行するのだった。

「息子のことは斎藤に任せろ、副長。あんたは時間ときがないんだ。早く覚えちまってくれ。それに、試合稽古もせにゃ、あんた、いまのままじゃかみさんに負けるぜ?」

「かみさん?案ずるな、新八。そこまで勝ち残れるとは思っちゃいねぇし、初戦であたったら瞬きする間もなく負けるのがわかってる」

「そっちのかみさんじゃねぇよ、副長。奥方のほうだ」

 そう、信江も参加するのだ。

「ああ、そうだったな・・・」つきつけられる無情極まりない現実。「おれが柳生の最強の女剣士に勝てると思うか、おめぇは?だからやはり案ずる必要はねぇよ」嘆息交じりの返事に永倉も苦笑するしかない。


「副長、すこしよろしいでしょうか?」そのとき、音もなく忍び寄ってきたのは土方子飼いの監察方の山崎だ。

「どうした?」「どうも不穏な動きが・・・」その囁き声に、すぐ近くで練習していた柳生の親子もその掌を止めて近寄ってきた。

「なんだ?早く報告してくれ」土方に急かされ、山崎は左右を油断なく見渡してから口唇を開いた。

「つい先日、この船の倉で発見されたものがあります」「なんだ?えっ、早くいってくれよ」永倉も急かす。

「小豆です」刹那、土方と永倉が息を呑んだ。柳生の親子が「は?」となっている面前で山崎が言を紡ぐ。「発見したのは魁兄かいにいで、このところすっかり気温が落ちてきているので・・・」「もういいっ」ぴしゃりと遮ったのは土方で、常になく顔色が変わっている。そして永倉もまた「あぁ神様オーマイゴッド」と大きな相貌を左右に振り振り何度も呟いている。

「小豆?わたしのなかのものに祈るほど小豆が脅威とも思えぬが?」厳蕃は暢気だ。なにせなにも知らぬのだ。

「馬鹿なことを申されるな、義兄上あにうえ。山崎、なにがなんでも阻止しろ、いいな?これは副長命令で、失敗すればどうなるかわかっているだろうな?」自身の頸を手刀で斬ってみせる。

「ええっ!父上のことを馬鹿と申され、その上丞さんが生命いのちまで賭けねばならぬことっていったいなにごとなのです、叔父上?」

「恐怖の「島田汁粉」だ。これはたとえ神であっても鬼であっても対処できるものではない。ましてや人間ひとごときが・・・」

「なに?汁粉?ほー、それは懐かしや。わたしは酒も好きだが甘いものも嫌いではない。昔、まだわらべだった時分ころ、真冬の稽古終わりに姉上が汁粉を作ってくれたものだ。あれはほくほくとうまかったな・・・」

「師匠、素晴らしき思い出に慕っている途中に申し訳ないですが、副長の説明は届きましたか?あなたの姉上の汁粉と一緒にされては困ります。あれを食したらあなたのうちなるものはきっと暴れだしますよ」「それより先に義兄上あにうえのほうが逝ってしまうだろう」「魁兄の「島田汁粉」は新撰組の三大事件の一つに数えられるほどの代物なのです。師匠、いくらあなたでも、大量の糸を引くほどの甘さの汁粉を何杯も食すなんてことはできないはずです」「なんと・・・」山崎のあくまでも沈着冷静な説明に、の息子の方が絶句し、の方は自身の胸元を抑え、親子は説明された代物をその脳裏で同時に想像してみた。

 えずきそうだ。

「あれを唯一食えたのは、あなたとわたしの甥だけです」「ああ、なるほど・・・」厳蕃は即座に合点がいった。

 土方と厳蕃の亡き甥は、五感のうちで味覚を失っていた。食せるはずだ。

「兎に角、どんなを使ってもいい、阻止しろ。いいな、山崎?」

「はあ・・・」困り顔の山崎の足許で、今度は「たいへんっ!たいへんっ!」と気合を発しながら木刀で素振りする赤子。

「いっときますけどおれじゃないですからね」と先手を打つ沖田に土方は鼻を鳴らした。

「わかってる。息子はいまのおれたち全員の心中を代弁してるんだよ」

『くくくっ』との思念は壬生狼。

「犬って甘い物食したら死ぬんですよね?」『死ぬことはない。だが、他のものと同じで摂りすぎはいかぬな・・・。いや、違うぞ、わたしは狼だ。犬ではないっ!』斎藤の生真面目な問いにやはり生真面目に返す白狼。

 

 そう、全員が困るのだ。ここには味覚のわかるものしかおらぬのだから。

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