スー族の集落
さして大きくもない川をこえると、やはりさして大きくもない森があって、その向こうに草がまばらにはえた草原がひろがっていた。大小さまざまな大きさのティーピーが並んでいる。
そこが、イスカとワパシャの家族であり、故郷であるスー族のうちの一つである部族の集落だった。
ティーピーとは、平原部族が用いる住居である。上部を一つにまとめたふとめの木を地面に建て、それを支柱とし、そこにバッファローのなめし革やキャンバス布を巻きつける。なかで火が焚けるのが、テントと違う最大の特徴だ。
亜米利加に白人たちがやってくるまでは、スー族をはじめとした平原部族たちは、夏の間はバッファローなどの獲物を追いながら移動し、冬はウイグワムという村でしっかりとしたドーム型のテントに住み、そこで冬季をやり過ごしていたが、異国から大挙としてやってきた白人たちのおかげで、現在はそういった昔の風習も絶えつつあった。
追うべきバッファローなどの獲物の減少もまた、起因していることはいうまでもない。
どのティーピーも、入り口は東の方角に作られる。陽の昇る方角だ。入り口だけは、バッファローの毛皮が吊るされ、それを潜ってなかに入る。そして、その脇には、これもまたバッファローの蹄が呼び鈴がわりに吊るされている。
こうしたティーピーは、移動しながら獲物を追う狩猟族にとっては重要な物資だ。設置、撤去にときをさほど要さず、利便性は抜群。なにより、壁がわりの布は、畳めば小さくかさばらない。木の棒は現地調達。つまり、移動の際に邪魔にならぬ、というわけだ。
漢のおおくが腰布一枚で、女は全身に布を巻きつけ、それぞれの用事をしている。
イスカとワパシャを先頭に、一行は集落のなかを進んでいた。
一行に気がついた人々は、作業の掌を止め、黒光りする相貌を上げ、一行をじっとみつめた。どの瞳も黒くて濃く、髪もまたほとんどが黒くて長い。
日の本の民とインディアンの祖がおなじであるということは、この時代よりもっと後に解明される。
無論、このときにはかれらがそれを知りようもなく、自身らをじっとみつめてくるインディアンたちをみ返しながら、ただ漠然と日の本とおなじような感覚を味わったのだった。
緊張せずにはいられない。さしもの新撰組も、この異種の雰囲気のなか、余裕などどこかに置き忘れたかのような面持ちで、それぞれの騎馬にその身をゆだねていた。
知り合いなのだろう。イスカもワパシャも通りすぎざま、だれかれに声をかけた。スー族の言の葉で。すると、相手は無表情のまま、鷹揚に頷いた。
小さな子どもたちは、真っ裸で走り回っている。が、突然、あらわれた一行をみると、その場に凍りついたように立ち竦む。
その子どもらもまた、どこか日の本の光景を感じさせるのだった。
『トシ、「偉大なる戦士」だ』
一行のゆく手に、ひときわ大きなティーピーがみえたとき、イスカが霧島を富士によせてきた。そして、顎を前方にしゃくりあげながら囁いた。
そこに、丘で土方をみおろしていた、あのスー族の戦士が立っていた。