さらなる鷹の正体
この日は、朝から微妙な空気がたゆたっていた。それは、最後の野営地を出発してからも、ずっとつきまとっていた。
みな、心なしか緊張し、しれず口数がすくなかった。いつもはお喋りどころか、独り言で周囲を辟易とさせる市村でさえ、口唇を閉じているときが長い。
この日、目的地に到着する。ついに、長い旅は、とりあえずは終わるのだ。
紐育を出発してから、いったい、どれだけの日数を過ごしたろう。 いろんなものをみききをした。感じ、思った。出会いがあり、別れがあった。仲間も増えた。戦いもした。嬉しいこと、悲しいことがあり、笑ったり怒ったり、喧嘩もした。
長かったといえばそうだろうし、短いといえばそうだろう。
だが、みなの口数がすくないのは、そういった旅情を懐かしんでいるからではない。
それは、これからのことにたいする不安、といっても過言ではなかろう。
そう、スー族にたいして、そこでの生活にたいして、起こるであろう戦にたいして、さらには、イスカとワパシャの祖父である、うちなるものを宿す存在にたいして・・・。
それらが、一行の口数をすくなくしている。
もっとも、当のイスカとワパシャは、周囲の空気をよみ、おなじように振舞ってはいるが、それでもどこか嬉しそうなのは否めない。
なにせ、数年ぶりに戻ってこれたのだから・・・。
『あ、朱雀』
そんな緊張と不安のなか、小柄な黒鹿毛の伊吹の鞍上で、市村が青空に向かって叫んだ。ちょうど、ぎらぎらしたお日様が、頭上から下界を睥睨している時分だ。
それは、雲一つない青い空に、筆でちょんと書いたかのようだ。
一行の真上、というわけではなく、一定の距離を置いたところで、まーるく円を描いている。
『馬鹿いってんじゃねーよ、鉄』
赤栗毛の巨大馬金剛の鞍上で、せせら笑う永倉。
『そうだぞ、鉄。みよ、朱雀はそこにいるではないか』
馬体が一番いい黒馬の剣の鞍上から、斎藤が指した先には、馬車の馭者台の縁で羽根をたたんでいる朱雀が、たしかにいた。
『んっ?じゃぁ、あれは?白い頭の鷲さん?』
市村は、額に掌をかざし、土方ばりに眉間に皺を寄せ、瞳をすがめた。
『それにしては小さいようだが・・・』
そう呟いたのは、浅間の鞍上の山崎だ。浅間は、両の瞳の上に黒色の眉毛のようなものがある斑馬だ。
山崎もまた、紐育で土方とその息子とのやり取りで朱雀と接することが多かったため、朱雀と仲がいいのである。
『たしかにあれは鷹、だな・・・』
美脚の持ち主であり、金色の馬たる金峰の鞍上の厳蕃の推察は、「キイッ!」という朱雀の鳴き声と、厳蕃自身の甥のかぶりによって確信にかわった。
『彼女だって!」
沈黙・・・。
『すまない、わが甥よ。もう一度いってくれ?』
厳蕃の丁寧な依頼に、その甥は邪気のまったくない笑顔で、再度叫んだ。
『彼女だって、朱雀がいっています』
つぎの沈黙は、そう長くはつづかなかった。
『なんだってー!』
いったい、幾人の漢が、力のかぎりにおなじ言の葉を叫んだだろう。
『坊、言の葉の先生として、おれはきみに失望したよ』
沖田だ。じつに悲しげな表情と声音で、弟子に告げた。
『先生?』幼子の、可愛らしさから美しくなりつつある表情が曇った。それをみた土方は、沖田をどやしつけたい衝動にかられたが、かろうじてそれをおしとどめた。過保護だと思われたくないからだ。否、厳密には、子煩悩すぎる、と思われたくないから。
もっとも、一行のなかに、どちらも思っていない者など皆無なのだが。
『なればいい直します』小柄で一番若い駿馬四十の鞍上、というよりかはその背の上に立ち上がり、幼子は宣言した。
『わたしの女、いいなづけ、恋人・・・』
幼子は、沖田先生より学んだありったけの語彙を駆使した。それはもう、健気までの努力だ。
悲しいかな、綴るごとにそれをきいている大人も子どもも無表情、固まってしまう。
それは、人間だけではなかった。白き四つ脚の獣たる狼、そして、馬たちもまた、その場で固まってしまっていた。