マリア像
フレデリックの老いた馬は、フレデリックが騎乗しただけで勝手に歩みはじめた。驚くべきことに、農場の動物たちがぞろぞろとその後をついてきている。
まるで嵐のような一行だった。ほとんどが人種の違う異国人だったが、まるで昔からの友人か、あるいは親類かのように気さくで友好的だった。もっとも、そのどちらもいまのフレデリックにはいない。とおの昔に死んだか遠ざかっていた。
驚くほど、親しみやすく、ゆえに付き合いやすかった。
別れはあっさりしたかった。すくなくとも、自身ではそうしたかった。向こうも同じだったはずだ。
縁があれば、また会える。そう、そのとおりだ。
トシはいった。『われわれは、こういう出会いを縁といいます。あなたの信じる神と、われわれの身近にいる神が導いてくれたのです。そして、その神々は、きっとまたわれわれを導いてくれるはずです。再会、という形で。そして、神々は、あなたのもとにあなた自身の息子さんを戻してくれるでしょう』、と。
信じたいものだ。そのどちらも・・・。フレデリックは、そう心から想った。
心地よい老馬の揺れが、ほんのすこし速くなったのは、玉蜀黍畑の邪魔な大岩がみえてきたころだった。その大岩は、嵐のような一行が協力して引っこ抜き、玉蜀黍畑から移動してくれたのだ。いまは、邪魔にならない地に突き刺さっている。
「おや?」
フレデリックは、その大岩の形が微妙にかわっていることに気がついた。遠目にはわからなかったが、近づくにつれ、その形がかわっていることがわかる。まるで人為的にかえられたような・・・。
老馬の歩む速度がじょじょに上がっていった。そして、その大岩の前までくると、ぴたりと歩を止めた。後ろからついてきていた猟犬や鶏や猫や牛馬たちも、ぴたりと歩を止め、フレデリックと同じように、その大岩を仰ぎみた。
「神よ・・・。神様・・・」
陽に焼け皺がたくさん刻まれた相貌の、かさかさに乾いた口唇から、神を讃える言の葉が零れ落ちていった。
マリア様が老人や動物たちをみ下ろしていた。大岩は、いまやマリア像にかわっていた。
そして、その像の下には、まるでお供え物であるかのように四角い布切れにくるまえ、金が置かれていた。
フレデリックの息子は、市俄古の病院に入院していた。それをピンカートン探偵社がみつけだした。
このとき、マリア像の下に置かれていた浅葱色の風呂敷に包まれたそれは、戻ってきた息子との農場経営におおいに役立った。
そして、大きなマリア像は、この辺りでも有名になり、そちらの系統の神様を信仰する人々の巡礼が絶えなかったという。
『フレデリックは喜んでくれたかな?』
比叡の鞍上で、伊庭がだれにともなく呟いた。それを、土方は富士の鞍上で受け止めてから、生駒の鞍上の野村へと視線を移した。
『ああ、きっと喜んでくれている。うちの神様方の発案で、利三郎を頭に、おれたち全員による製作だ。利三郎、ご苦労だったな。ありゃ、系統の違う神様もびっくりのできだった。おめぇはそういう才に溢れてる』
そういいながら、土方はまたしても後悔に苛まれる。野村の才能を潰してしまっているのだ。
『あれは、柳生家の庭の夫婦岩どころの騒ぎではなかったですよね、師匠?それを、だれかさんをのぞいて、切断してのけたんです。いっそ「柳生組」にしてしまったらどうです?』
土方は、沖田の声ではっとした。睨みつけてやろうとそちらをみると、沖田もみていた。その瞳は、土方にこういっていた。「大丈夫。潰してなどいない。自身の判断、そして、仲間を信じなさい」と・・・。
決まってから製作終了までが大変だった。なにせ岩は大きい。しかも、岩を彫る道具がない。刃のあるものはなんでも遣わねばならなかった。荒削りには日本刀と斧を。それから、あらためて鉈や小刀、軍用小刀、はてはくないまで遣った。
そして、その後、まったく違う用途に遣われ傷ついたそれらを、柳生親子、斎藤、田村らが手入れしたのだ。
フレデリックの書斎で、フランクがマリア様の絵をみつけていた。それを護符がわりにと、フランクはいただいたのだ。それをもとに製作したのである。
下の方は体格のいい連中が彫り、上部は人間梯子でもって身の軽い連中で彫った。頭部は、野村と幼子が彫った。農場の作業の合間や深更に進められた製作。できは、けっして完璧ではない。そうするのに感覚と腕はあっても、ときと道具がないからだ。それでも、そうとわかるだけのものにはなった。
そこに、スー族の二人が例の強盗団退治の報奨金をの一部を提供してくれた。馬のかわり、というわけだ。
そして、系統の違う三神様の念がこめられた。マリア様もびっくりしただろう。
『わたしはうれしい。大きさの大小はあれ、みなの剣の腕前が、岩をも斬る域になっているのだ。義弟よ、案ずるな。それができずとも、妻や子、親族、そして仲間が護ってくれるからな』
ははは、と爽やかな笑声がつづいた。
厳蕃もまた、土方の複雑な思いをわかっているのだ。
土方は、もはや苦笑するしかない。
たった数日の付き合い。だが、これはまさしく縁だ。
フレデリックも、きっとそう思ってくれているだろう。
かれの健康と前途、そしてなにより、息子が戻ってくることを、祈らずにはいられない。
そう、自身らが信じる神様方に・・・。
旅の再開だ。
目的地までもう間もなく、のはずだ。
雲一つない青い空に、朱雀が優雅に舞っている。




