別離の悲しみ
修繕され、きれいにかたずけられた畜舎の開け放たれた入口脇から、土方はそっとなかを伺いみた。足許では、その息子が父親と同じようにのぞきこんでいる。
馬房の一つで人影をみとめた。親子は、気配を断ち、そこまで近づいた。
「ごめんな」という日の本の言葉に啜り泣きがまじったものが、親子の耳朶をくすぐった。
親子が馬房のうちをそっとうかがうと、野村の背があった。自身の額を、三頭の馬の鼻面にかわるがわるこすりつけ、泣きながらひたすら謝っている。
三頭の馬たちが親子に気がついた。が、子のほうが口唇の前で指を一本立てると、その意をくんで視線を野村へと戻した。
父親をみあげる子。父親は、驚きと悲しみが交錯した表情で、野村の震える背をみつめていた。
土方は意外に思った。野村がこんなに情が深いとは、思いもよらなかった。どちらかといえば、相馬のほうが別れたがらない印象が強い。あるいは田村や玉置のほうが・・・。
いまさらながら、スー族の二人のいうとおり、名などつけなければよかった、必要以上に接触などしなければよかった、と思わざるをえない。
なぜなら、自身もまた別れが辛いと思っているから。置いてゆくという最終決断を下したことを後悔した。
そのとき、シャツの裾が引っ張られた。みおろすと、自身の子が、これもまたいまにも泣きそうな表情で自身をみ上げている。
その心中をよむことはできない。なぜなら、すでに息子のほうがあらゆる面で自身の上をいっているからだ。だが、その表情で、自身の子もまた別れに小さな胸に痛みを、深い悲しみを抱いていることを知った。だれよりもお馬さんたちと仲が良く、接触どころか心を通わすことができるのだ。当然のことであろう。
自身の息子は、必死に耐えていたのだ。そう気づくと、よりいっそう後悔に苛まれる。それどころか、呪いすらしたくなる。
だが、いつかは離れ離れになる。あるいは、死んでしまうかもしれない。全頭とともに一生を過ごせるわけがないのだ。
馬でこれだと、人間になにかあったらどうなるのか?
自身の考えが泥沼に陥りそうになろうとしたとき、「利三郎兄っ!」とその息子が甲高い声音で叫んだ。 自身以上に、野村が驚くのは当り前であろう。その背が文字通り飛び上がった。
「お馬さんたちも利三郎兄と離れたくないって、利三郎兄に体躯を洗ってもらったり、話をしたりしたいって・・・」
野村が振り返った。相貌には、驚き、悲しみ、そして、羞恥があった。とんでもないところをみられた、とその心中でで叫びを発している。
「でも、自分たち三頭は、ほかのお馬さんたちより年上だから、もしかするとついてゆけなくなるかもしれないから、だからここに残ったほうがいいって・・・」
幼子も泣いていた。泣きながら、お馬さんたちの気持ちを伝えた。
「そんな・・・」野村の瞳からさらなる泪が溢れた。それは、幾つもの筋を描きながら、馬房も敷かれた藁の上に落ちてゆく。
それを慰めるように、三頭がそれぞれの鼻面を野村の相貌にこすりつける。
「利三郎・・・」土方は、いたたまれなかった。そして、かけるべき言の葉がみつからなかった。
どのような形であれ、別れの辛さは、自身が一番よくわかっている。幾度も幾度も味わってきた。その辛さを、弟分に味あわせてしまった自身を許せないとまで思った。
『せっかくの好意を踏みにじってしまうようじゃが・・・』
そのとき、畜舎の外から老人のしわがれ声がゆったりと流れてきた。
『わし一人では、いまいる家畜だけでも世話がたいへんだ。さらに三頭増えれば、世話することが難しい。息子が戻ってくるまでは、いまのままで十分すぎるほどじゃ』
フレデリック老だ。ゆったりとした歩調で馬房に入ってくると、三頭の鼻面を撫でてやった。
『息子が戻ってきて、また縁があれば、そのときには好意をありがたくいただくとしよう』
野村、そして、幼子がはじかれたように土方をみた。ここは、土方がどう返答するかにかかっているのだ。
『約束します。そのときには、かならずやなんらかの形でわれわれはあなたに好意を示すでしょう。フレデリック、心から感謝します』
刹那、野村も幼子もそれぞれの相貌を明るくした。それはもう、大空を席巻する太陽も驚くほどの輝きだ。
それから、二人は掌を握り合い、大喜びした。
二人の笑い声を背に受けながら、土方自身も嬉しくなったのだった。




