眠れぬ理由(わけ)
煙草の小さな灯が、夜の闇にぽっかりと浮かんでいる。
フレデリック老だ。いつもはもっとはやくに寝台に入り、夜が明けるまえに起きるのだが、この夜、老人は寝付けなかった。
これまでと同じ、静かな生活に戻れる。これまで、何日、何ヶ月、何年とつづけてきたと同じ、なんのかわりもない生活に戻るだけだ・・・。
ただの不届きな盗人どもだ、と思った。集団でりんごの木によじ登り、収穫間近のりんごをもぎまくっていた。たまたま、だった。たまたま、みまわりをしていて、それを発見した。銃で脅しておっぱらってやろう。旧式で使いふるし、精度など落ちまくっているライフルでも、二、三発、空に向けてぶっぱなせば、蜘蛛の子散らしたように逃げ去るだろう。そう確信していた。あのときなぜか、相手も銃をもっていたり、兇暴な強盗団だったり、というようなことを、これっぽっちも考えやしなかった。
考えやしなかったのだ・・・。
音もなく扉が開いた。この扉は、ずいぶんと昔から開けるたびに「ギーギー」と耳障りな音を奏でていた。だが、遠き異国からやってきた兄弟たちは、こんなささいなことにまで気がまわった。
だれかが油をさしてくれたのだ。いまでは音がしない。いかなる音も発しない。
『フレデリック?』
扉と同じで、なんの音も立てず、なかから二人の兄弟がでてきた。二人とも、連中のなかでもとくに小柄で、数すくない二組の親子のうちの一組だ。
『申し訳ない。やかましくて眠れないのでしょう?』
トシシゲという名の漢がきいてきた。
農場の邪魔者であったあの大岩を、鎖で引き抜いた漢だ。あのことは、この老い先短い人生のなかでも忘れることは決してないだろう。
『いいや、うるさいからではない。どうしてか眠れん。なんでかは、わし自身にもわからん』
月明かりの下、トシシゲとその息子のトシチカが笑顔になったのがわかった。
よく似ている、と思った。わし自身の息子と違い、トシチカは父親想いのできた息子であることが、このわずかな付き合いのなかでもよくわかった。
『どうした?そちらこそ、眠れぬのではないのかね?』
尋ねると、息子のほうが答えた。
『毎夜、鍛錬をしているもので・・・。従弟も一緒に・・・』
『うわっ!』わしは、驚きすぎて、掌にもっていた煙草を取り落としてしまった。なんと、いつの間にか幼子が玄関の手すりに座っていて、わしをおおいに驚かせてくれた。幼子は、小さな掌を伸ばすと落下する煙草を掴んだ。それから、手すりからぴょんと飛び降り、わしに煙草を差しだした。その小さな相貌には、じつに無邪気な笑みが浮かんでいた。この幼子の父親が、この子を溺愛するのもわかる。わしの息子もこういう時期があった。わしもやはり、一人だった息子を溺愛したものだ。
『このいたずら小僧め。むやみに他人を驚かせるでない』トシチカが叱責よりもはやく、幼子はわしに、『ごめんなさい、フレデリックさん』、といった。それからまた、にっこり笑った。わしは、煙草を受け取りながら、空いているほうの掌で幼子の頭を撫でてやった。
この幼子には、最初から驚かされっぱなしだ。遠き異国では、こんな小さな幼子でも、あんな奇跡をしょっちゅう起こすのだろうか?そう考えずにはいられない。
『この子は特別なんです、フレデリック』トシシゲがいった。なんと、わしの考えていることがわかるのか?
『あなたのご子息が、一日でもはやくみつかり、また一緒に暮らせることを、わたしたちはわたしたち自身の神に祈っています、フレデリックさん』
わしをみ上げ、にっこり笑いながら幼子がいってくれた。
そのとき、わしはなぜか幼子のいうことが実現する、と思った。
小さな二つの背と、さらに小さな小さな背をみ送りながら、わしは、遠き異国の神とやらは、わしの望みを、願いを、かなえてくれるのではないかと確信した。
わし自身が信仰する神よりもずっとはやく、完璧なまでに、遠き異国の神はやってくれるはずだ。
寂しくなる・・・。そう思って眠れなかったのだ。
気がつけば、煙草の火が落ちていた。そして、わしは泪を流していた。
それは、息子が戦場にいった日の夜以来のことだ・・・。




