想いと悲しみの果て
信江は、ケイトを台所にある小さな卓へと誘い、その椅子に座らせた。そうしているうちにでも、目線で甥に呑み物を注ぐよう指示をする。
厳周は、カップをつかむと、すぐに井戸まで走っていって水を汲んできた。
『さぁお呑みなさい、ケイト・・・』信江は、ケイトの背をさすりながら水をすすめた。一口、二口と水を呑むと、ケイトはようやく落ち着きを取り戻した。
『ケイト、いい娘ね。どう、トシチカとわたしに話をしてくれるかしら?もしかすると、あなたはあなた自身のことで悲しくなるかもしれない。あなた自身の過去に怖くなるかもしれない・・・。でも、あなた自身もわたしたちも、それから、あの子も、いずれ向き合わなければならない。いいわね?』
信江は、ケイトの相貌を覗き込んでから、目尻に溜まっている泪の粒を、自身のささくれ立った指先で拭ってやった。
小さく頷くケイト。
『なにを突っ立っているの?あなたも座りなさい』
『は、はい・・・』完全にいいなりになっている厳周。育ての母には逆らえぬ。
『ケイト、あなたにはあの子のなかがみえているの?わたしの兄、トシシゲのなかはどうかしら?』
ケイトは、驚きの表情で信江をみた。英語の使い方を間違っていると思ったのかもしれぬ。たしかに、なかがみえている、という表現はおかしい。
信江は、その心中をよみ、ケイトには依代たちのなかにいる神の獣はみえていない、と確信した。
『悲しみでいっぱい、といったわね?それは、わたしやトシチカからも感じられる、ケイト?』
それにははっきりと相貌を左右に振って否定するケイト。
『トシシゲには感じられるわ・・・。トシ、トシゾウにも・・・。でも、かれは、かれはそんなものではない。トシシゲやトシゾウは、悲しみだけじゃない。でも、かれは、かれは・・・』
青い瞳に、またしても大粒の泪が溢れてきた。
信江は甥をみた。甥も信江をみていたが、あきらかに動揺しているようだ。
土方、そして、厳蕃も背負っているものは多い。それは、信江や厳周などでは想像ができぬほど、辛く悲しいものだ。
『かれを助けることはできない。もう、かれを悲しみから救うことはできない・・・』
その一語は、さしもの信江にも衝撃だった。
母を知らず、父親に監禁された上で性的虐待を受けつづけるという地獄のなかを過ごした少女。その少女には、おそらく他者には感じられぬ、また、理解のできぬ感覚が備わっているのだ。信江は、それを否定するつもりも疑うつもりもない。自身らもまた、そういう感覚が備わっているからだ。
救うことはできない・・・。ケイトはそう感じている。いや、断定している。
辰巳は、悲しみの呪縛に捕らえられ、それに支配されてしまっている。もはや、自身の力でも、他者の力でも、かれをそこから救い、開放することができぬというのだ。
信江は、このときはじめて、けっして想ってはならぬことを想ってしまった。
それは、息子の勇景に対して、ではない。
甥の辰巳に対して、であった。