腹八分(インモデレイション)
『まったく食が細いね、あんたたちは?信江からきいたけど、あんたたちは牛や豚も食べないんだって?よくそんなで生きてけるねぇ。だからそんなにちっちゃくてほそこいんだ。触ったら折れちまいそうだ』
この「The lucky money(幸運の金)」号のある意味では一番影響力のある女傑キャサリンことキャスが皿にマッシュポテトを盛りながら大声でいっている。一皿一皿大盛に盛られたそれは、馬鈴薯をすり潰し、牛乳とバター、塩胡椒を混ぜて作られる。もっとも、陸ではなく、海原にあってはその量も限られており、牛乳とバターはあくまでも入れているのか?という程度である。
この船の食堂室には二十人が左右に分かれて座れる食台が二列あり、立派な厨房も備えられている。まずは食から、というニックらしい設備。そこを取り仕切る女傑、そしていまでは信江がその補助をしっかりとこなしていた。
船で働く漢たちは、体躯の大小はあれども等しく大食漢だ。交代で三食摂るが、その時間帯はまさしく戦場。無論、混雑時には信江だけでなく山崎や相馬、そして市村ら若い方の「三馬鹿」も手伝っている。それでもこと食事と夜の酒盛りが愉しみの船員たちは、殺気立って毎度の食事に文字通り臨むのだった。
『ほら子どもたち、もっとお食べ!』大人の掌大の杓文字で大鍋からマッシュポテトを掬い、ばんっと音を立てて皿に盛るキャス。
日の本の客人たちは、客人であるにもかかわらず、食べるのは船員たちの後だ。働かざる者食うべからず、の理念が客人たちにそうさせるのだ。いまも船員たちの残り物をお相伴に預かっていた。
『キャス、こんなに食べられないよ』そう抗議したのは若い方の「三馬鹿」の内で一番食の細い玉置だ。病の経験には関係なく、もともと食の細い彼は、体格も細く、背ばかりが伸びている観だ。
「おれが食ってやる、良三」一行の中で一番の大食漢は永倉。いまも自身の皿を一気に空にし、それを玉置に差し出した。その次は島田で、この二人だけはかろうじて船員と互角、したがってキャスもこの二人だけは認めていた。
「いいや、新八先生、おれが食う」負けず嫌いの市村は、こんなところでもそれが顕れる。いまもすぐさま玉置の皿から自身の匙でマッシュポテトを掬い自身の皿へと移した。
「おいおい、無理するな。腹八分、これも剣士として重要なことだ」すかさず伊庭が注意する。「でも、新八先生は?いつも本能のままに食ってるけど凄い武士じゃないですか?」「それはいい!本能のままに生きる「がむしん」ってか?」相棒の原田がいい、全員が笑う。
「左之っ、てめぇっ!それに鉄、誉めてんのかけなしてんのかどっちだっ!」
「うるせえぞっ、おめえらっ!」土方の一喝で各自の席でおとなしくなる永倉ら。
席順はいつも上座に両「三馬鹿」らが座し、下座に土方や柳生親子が座す。その中央に伊庭、山崎、島田が。そしてもう一列に沖田と斎藤、それに信江やキャス、ときにはニックもいるし、スー族の戦士二人もともに食す。
「まったく、おめぇらは昔から飯時には取り合いやらなんやらでうるさくて仕方ねぇっ!いっつも源さんに注意されてただろう?」
そう、試衛館時代は常に食べる物に事欠いていた為、「三馬鹿」はおかずや玄米飯の取り合いをしては兄貴分の井上源三郎に叱られていた。そんなときでも、斎藤や沖田与えられた量を静かにはもくもくと食していたものだ。
「八郎のいうとおりだ。鉄、そんなくだらねぇことで張り合うんじゃねぇよ。ちったあ、柳生の一族を見習ったらどうだ?節制を常としているお陰で小さく、小回りがきくじゃねぇか、え?」
「義弟よ・・・」その隣で芋のすり潰したものを匙で運びながら悲しそうに呟いたのは義兄。
「あいにく小さいのは節制をしているから、というわけではないのだ。われわれは無駄に肉がつかぬよう節制しているだけで、小さいのは血筋とその節制の所為だ」
当事者の一人である厳周が笑いを噛み殺している。そしてついに食台の下で育ての親と同じ皿でみなと同じものを手掴み口に運んでいた赤子が「きゃっきゃっ」と笑いだした。それにつられ、全員が笑いだす。
「信江?」いつの間にか愛妻が空いている隣の席に自身の皿を置いて座っていた。声を掛けるとわずかに微笑し、そっと夫の掌を握った。漢が着ている物と同じシャツとズボンを信江でも着れるように器用な島田が繕ってくれたものを身に着けている。信江は唯一裁縫だけは苦手なのだ。
「どうした?悲しいことでも?」妻に囁く。
「わたしたちの小さな甥は、幼少からの過度の節制や極度の重圧から心身の機能がおかしくなっていました。それは自身の心の臓を貫く前にすでに停止していたそうです。京で無理矢理松本法眼に体躯を調べられたそうです・・・」
松本法眼。松本良順は、将軍徳川家茂、慶喜の信任が厚かった元将軍侍医だ。近藤勇の人となりに共感し、近藤以下新撰組の隊士たちと親交をつづけ、よき理解者であり協力者でもある。そして、この旅のことを知る数少ない人物でもある。医師にして剛毅無双。新しもの好きでさまざまな伝説を残す。この後、日本帝国陸軍初代軍医総監にまでなる豪傑だ。
京時代、松本は新撰組で健康診断なるものを行ったことがあった、その際、いくつもの問題とその改善策を「鬼の副長」に突きつけ、鬼は即座にその課題をこなした。それがまた松本の気に入るところであり、その後の長きに渡る親交へと結びついた。
その健康診断を彼らの弟分は避けに避けた。たしか|会津本陣(黒谷)からの依頼で屯所をあけていたはずだ。おそらくは将軍絡みで法眼と関わりがあったのだろう。
「十歳どころか七、八歳ですべての機能が止まっていると・・・。たとえ心の臓を貫かず、普通の人間として成長していたとしても、結局は身体の成長はなかったと・・・」
夫の掌を握るその掌は温かいがどこか悲しいものが流れ込んでくるようだ。夫と妻の視線が絡み合う。全員がそれに耐え切れずに俯いたまま耳朶を傾けている。
「それは、男性自身のものも含めて、です。二人で京から八神城下の爺やのところまで旅したとき、まるで他人事のような口調で語っていました・・・」
「なんてことだ・・・」だれかが呟いた。
土方も同じ思いだ。そんな過酷な人生を強いた柳生俊章に対し、もう何十度目かであろう怒りを覚える。そのとき、原田と視線が合った。(左之、知っていやがったな?)確信した。すぐに逸らされる視線。だが、間違いない。そういえば、先日甲板で京時代の昔話をしたときにも原田と視線が合ったことを思い出した。そのときも気になったのだ。こいつとも話をしなければならない。
「姿形がこんなでよかった、と笑っていました。そしてすぐに話題をかえてしまいました。わたしにはどうすることもできませんでした。どうすることもできなかったのです・・・」
雑談のように語られた重い真実。信江でなくともどう応じていいものかわからぬだろう。
彼らの弟分は実の叔母にどういうつもりで語ったのだろう?
急に静かになった客人たちの様子から、キャスもスー族の戦士たちも察してただ黙って食事をしてくれている。
「あー、あー」赤子の悲しげな声音だけが船のあらゆる音を掻き消し、食堂の内に響き渡っていた。




