Grand héros
『1858年、まだ新しい年にかわったばかりの14日の夜のことだ。この夜、皇帝夫妻はオペラ座で行われる歌劇の鑑賞をされることになっていた。四頭立ての立派な馬車が、いままさにオペラ座の前にとまろうとしていた。通りは、同じように鑑賞の為にやってきた貴族の馬車やら、一般の人々でごったがえしていた。人々は、その立派な馬車が皇帝の馬車だと知って驚いただろう。そして、一緒に鑑賞することが光栄だと思っただろう。そんななか、通りに奇妙な音が三発響いた。「ボンッ!ボンッ!ボンッ!」とな』
スタンリーは、いったん話を切ると、ブリキのカップから薄い珈琲をすすった。
車座になった一行の中央では、篝火が爆ぜ、すこし離れたところでは馬たちがひっそりと身を寄せ合っている。
厳蕃は、篝火の炎をうっとりとみつめていたが、ふと甥に視線を向けた。他の者よりさりげなく篝火より距離をおいたところで、甥は大人たちと同じように一丁前に胡坐をかいている。
視線が合うにきまっている。両者の間に距離はあれど、そのようなものはさほど問題ではない。
甥は、スタンリーの話を、いかように思っているのだろう?いかように感じているのか?そんな愚にもつかぬことが厳蕃の脳裏をよぎっていった。
それから、両者は同時に視線をそらした。
『「シュー」という音ともに、通りに煙が充満した。暗殺犯たちが放ったガス弾だ』
だれかが息を呑んだ。ガス弾、というきき覚えのない言の葉に反応したのだ。
『毒の入った空気を大砲のようなものに詰め、それを撃ち込んだんだ。それはもう大混乱だ。人や馬はバタバタと倒れてゆくし、ガスを吸わなかった幸運な人や馬は、われ先に逃げようとする。そこへ、警備兵たちもやってきたものだから、よりいっそう混乱した・・・。その混乱に乗じて、オリシーニを含めた主犯格の四名が皇帝の馬車に駆け寄った。いずれも、ガスを吸わなくてすむよう、ガスマスクをつけている。馬車を曳いていた馬たちも倒れていた。とはいえ、暗殺犯たちもさほどときがあるわけではない。馬車の扉を開けようとしたが、なかから鍵がかかっていた。一人が、腰から拳銃を抜き、それを撃って鍵を壊した。それから、勢いよく開いた馬車の扉のうちに、暗殺犯たちはなだれこんだ。だが、その直後、暗殺犯たちはいっせいに馬車から逃げだし、騒擾の外、夜の闇へと消えた・・・』
スタンリーは、また言葉をきると、薄い珈琲をすすった。その間に、聴衆になにが起こったのかを想像させる為だ。
『じつは、その夜、馬車のなかに皇帝夫妻はいらっしゃらなかった・・・。暗殺は、五名でおこなわれる予定だった。だが、その前夜、そのうちの一名が何者かによって捕えらえたんだ・・・』
つぎは、全員をゆっくりみまわした。そういう物騒なことに慣れている連中ばかりだ。その説明で察しがついたのか、ほとんどの者が、スタンリーと視線が合うと頷いたり笑みを浮かべた。
そのいずれの表情も、どこか誇らしげな表情であることを、スタンリーは篝火の炎の光のなか、はっきりとみることができた。
『その翌日、主犯格四名、さらにはその仲間たちが一網打尽にされた。それもたった一名によって、捕まえられたんだ・・・。
オリシーニらは、暗殺がうまくいくとは思っていなかった。それよりもむしろ、それをすることで、自分たちの訴えを世の多くの人に知ってもらい、同情してもらい、賛同してもらいたかった。オリシーニは、それを獄中からおこなった。殺そうとした皇帝に向けて、だ。しかも、裁判のときには、皇帝こそがイタリアの救世主である、とさえいい募った。さきほどいったとおり、皇帝自身、若い時分にはそういった活動をしていたので、オリシーニに同情し、自ら恩赦するようにとまで働きかけた。が、それは通らず、オリシーニら五名は断頭台でその生命を絶たれた。ああ、断頭台、というのは斬首刑のことだ』
また言葉をきった。それからまた薄い珈琲をすすった。
『フランスは、その後、イタリアに介入するようになった。結局、オリシーニらの生命を賭けた想いがかなったんだ。それとはべつに、皇帝は、自身の生命を助けてくれたばかりか、一味を取り押さえ、最終的には皇帝自身の想いを遂げられるよう奔走した異国の英雄に対し、おおいに感謝し、レジオンドヌール勲章と騎士の称号とあらゆる特権を与えた、というわけだ。それは、フランス国内においても稀にみる待遇であったという。「竜騎士タツミ」の名は、フランス国内では英雄と同義語であるといっても過言ではない。そう、かれはまさしく英雄のなかの英雄なんだ』
スタンリーの話もまた、大団円とともに、全員の精神に、あらためて小さな英雄の偉大さを植え付けたのだった。




