仲間入り
「孫六兼元」、「関の孫六」ともいわれる名刀。両手打ちで棟の重ねが薄く鎬筋が高い。平肉のほとんど付かない造り込みの為居合い抜きよりかは刃と刃を直接交える遣い方が向いている。戦国時代には前田利家や武田信玄、上杉謙信、青木一重といった名武将たちが所持していた業物。とくに青木一重所持のそれは、「青木兼元」と呼ばれて名を馳せた。後世には文豪三由紀夫が起こした三島事件の際に介錯に用いたのもこの「関の孫六」で、これを軍刀拵えにしていたという。
刃は確かに血を吸いはしているものの、ほとんど残ってはいない。あれだけの人数を切り殺していながら、まるでそうとは感じさせぬ。やはり柳生。生まれて初めての死線すら難なく超えてしまう。無論、それは剣の腕のみのことで、精神の状態はまた別の話ではある。
刀に一礼してから柄を外し、鎺、切羽、鍔も外してゆく。刀身だけになると懐紙で鍔元から峰を丹念に付着した人間の血や脂を拭い、打ち粉を振るい、手入れ用の油を塗ってそれをまた懐紙で拭う。棟も同じようにする。
一人、輪の中より外れ、斎藤は心静かに厳周の業物の手入れを行っていた。
いい刀だ、と心底思う。そして、それを振るう者のことも。
斎藤にとって、刀とは振るい相手を傷付ける為だけのものではない。まさしく精神そのものだ。刃をみ、感じることこそが至福のとき。けっして邪魔されたくない。穢されたくない。
こういうときの斎藤は、その体躯からはっきりと拒絶の気が立ち昇っている。
船倉にある自室に籠っていた厳周を連れ出し、永倉は甲板で酒宴を開いた。故国からこっそり持ってきた秘蔵の酒。ここで呑まねば呑むときがない。大盤振る舞いだ。
車座になり、異国のグラスに注がれた日本酒。貴重な生一本「灘の銘酒」。これは京時代、近藤の妾宅の庭先で行った花見でその家の主たる近藤が準備してくれたものと同じもの。その花見は、山南をのぞいて試衛館時代の仲間水入らずで行った最後の花見となった。思い出の酒だ。
元祖「三馬鹿」、沖田、島田、山崎といった元新撰組幹部たちに厳周、そして斎藤は車座より離れたところで刀の手入れ。
「厳周、屯所にきたときのこと覚えてるか?」
永倉が隣の厳周の肩を抱きながら問いかけた。問われた側は昼間の衝撃がまだ抜けきらず、俯き加減で小さく頷いている。憔悴しきっていた。無理もない。
「坊を探しに?ははっ、あれはわかりやすかった」原田はそういうと豪快に笑い、それ以上に豪快にグラスを呷った。この後の腹の二つの傷跡自慢の為、すでに上半身は真っ裸だ。
勢いよくグラスを床に打ちつけるようにして置くと酒瓶に掌を伸ばそうとした。
「馬鹿野郎っ、左之っ!呑むんじゃねぇっ!」
自国の言葉ではいいにくいことも、異国語なら許されるとばかりに汚い言葉ほど嬉しがって使いたがる。もっとも、そういう言葉ほど脳に入りやすいのも当然か。兎に角、同国人同士でも要所要所に異国語が混じりはじめているところが面白い。しかもきくに堪えぬ汚い言葉ばかり。
「なぜだ?せっかくの酒だ、愉しまなきゃ酒が泣くぜ」「こりゃ厳周の為に用意したんだ。こいつは今日、改めておれたちの仲間になった。これでこいつも背負うもの、分け合うものを等しくしたんだ。その祝い酒だ。厳周でなくおめぇが呑んでどうする?」
永倉の怒鳴り声に厳周ははっとして父親譲りの相貌を上げ、永倉の横顔をみつめた。厳周の肩を抱く永倉の筋肉だらけの太い腕には力が籠っている。
「おれが初めて他者を斬り殺したのは京の「大文字屋」っていう呉服問屋の庭先だった。新撰組って名になるすこし前のことで、おれだけでなく左之や平助、総司だってそうだった。他者を殺すってことに関しては島田や山崎もそんなにかわりはねぇ。それに、その後も斬り殺したくねぇって思いは同じだし、常に斬り殺されるかもしれねぇってのがつきまとってる。正直、怖くてたまらねぇよ。それもみな同じだ。他人の生命の重み?そんなものはよくわからねぇ。仲間の背を護り、護られる。その上で仲間の、「鬼の副長」の想いに添うことができればいい。ただそれだけを想ってる。だからってむやみやたらに他者を斬りまくって傷付けたり殺したりするんじゃねぇ。だが、仲間を傷付けようとする者や傷付けた者は許さねぇ。それはおれにとって敵だ。場合によってはそれ相応の代価を支払ってもらう。たとえそれが相手の生命を絶つことになっても、だ。それがおれだ。そして、ここにいる者はみな似たり寄ったりだ。それがおれたちなんだ」
甲板の灯火の下、永倉の精悍な相貌に不敵な笑みが浮かぶ。その横顔を無言でみつめる厳周。
今宵はさすがにこの船の船員たちの酒盛りはなく、甲板上にいるのはこの船の客人のみ。
灯火の明かりと夜になってもいまだ熱い空気が漢たちにまとわりつく。
「柳生の跡取りそして当主として、あるいは偉大なる剣士の倅として、そして神をその身に宿す父を持つ息子としてのおまえのことは、正直、よくわからんし理解しようもない。いえるのはそれらすべてが辛く厳しく大変だってことくらいだ。だが、これからは違う。同じ鬼と神を頭に頂き、それらの背を全身全霊をもって護ることだ」
永倉の腕にさらに力が籠められる。痛いほどのそれには物理的な力以上の想いが籠められている。それが厳周には痛いほどよくわかる。精神にひしひしと。
これまで一人でやってこなければならなかった。重圧ともどかしさで逃げ出したいと思ったことも一度や二度ではない。それでもやってこれたのは、父となにより剣が大好きだから。否、父が剣そのものであり逆もまた然り。自身にとってはどちらも欠けてはならない。どちらかが欠けてしまえば・・・。
「おまえに土方さん、叔父貴のような気持ちにはさせねぇよ。その為におれたち仲間がいる」不意に声量を落とし永倉がいった。その双眸は厳周のそれをじっと覗き込んでいる。
厳周の義理の叔父がみ、感じたことを思うとたまらない気持ちになる。自身には到底それに耐えられる精神力はないだろう。
「鬼の轍は踏ませねぇ。だからおまえはおまえであれ。おれたちの歩む道は同じだ。同じ背をみてる。この日のことは忘れるな。人を殺めたことをこれから一生背負え。それを糧とし、あえて進め。辛けりゃ仲間を捕まえ弱音を吐け。ときにはきいてやれ。その為に酒がある。おれたちゃその為に酒を呑む」
「嘘ばっか。人斬ってないときでも呑むじゃないか、しんぱっつあん?」「だまれ平助っ!水をさすなっ。厳周っ」永倉は藤堂の肩にも腕を回し、それをもぐっと自身に引き寄せた。「馬鹿力ーっ」藤堂のおどけた声音の訴えは無視し、厳周に満面の笑みを浮かべてみせた。
「ようこそ、新撰組へ」厳周が新撰組の漢たちを見回すと、全員が無言でグラスを掲げ、歓迎の意を示している。斎藤に到っては、手入れしている厳周自身の得物をわずかに宙に掲げ、やはり歓迎の意を示してくれた。
そして、最後に沖田と視線があった刹那、熱気が斬り裂かれるわずかな音、そして緊迫した気にその場にいる誰もが息を呑んだ。
そこにみたものは、沖田が放った自慢の「三段突き」の一突き目と、永倉の腕で自由のきかない状態でありながらその剣先をたった二本の指の間で受け止めている厳周・・・。
側に置いた「菊一文字」を居合い抜きしそれを打突するという神速の複合技を放った沖田もさることながら、それを二本の指で受け止める厳周もまた尋常ではない。それはまぎれもなくこの場にいる全員の弟分であり厳周自身の従兄の妙技であった。
「新八さんはまどろっこしくていけない」床に片膝ついた姿勢で押せども引けども自身の得物をどうすることもできないのを自覚しつつ、沖田は不敵な笑みを浮かべた。「厳周、なにもいい子でいる必要なんてない。鬼や神、略して鬼神?彼らがなんといおうとおれたちは護らなきゃならないものの為に剣を振るう。それしかできないから。その過程で他者を傷付けるあるいは殺してしまうこともある。きれいごとではすませられない。これがおれたちの道。修羅の道なんだ。どうやらきみの腕は父親や従兄と大差ない。自信をもっていいよ。たまには親父に逆らってみるのもいいかもね。その方があの頑固親父は喜ぶかも?兎に角、ようこそ、柳生の剣士。気軽にいこう」
厳周の秀麗な相貌にふわりと笑みが浮かぶ。父や従兄と似たそれは、間近でみている沖田と永倉をはっとさせるものがあった。同時に「菊一文字」が開放され、沖田はすばやくそれを納刀した。その場に再び座し、酒の入ったグラスを改めて掲げる。
「ちぇっ、総司、おれのこの見事な腕が吹っ飛ぶところだったぞ」「冗談でしょう、おれの「菊一文字」は新八さんのぶっとい腕を貫通させることはできやしないよ」「違いねぇ」原田がいい、全員が笑いだす。
「厳周、屯所でおれたちとの立ち合いを断ったろう?もう断らせねぇ。陸に上がって落ち着いたら一勝負、頼むぜ」
厳周をまだ開放しないまま囁く永倉。「ずるーい、おれもおれも」「柳生は同じ宝蔵院流の槍を遣う。おれとも頼むぜ」
元祖「三馬鹿」らしい。厳周は心底想った。彼らに到底敵いやしない、と。
「壬生狼、気をつけてくれ」
厳周の刀の手入れを終え、それを納刀して自身の前にそっと置いたとき、視線の先に白い太い四肢と赤子が這っているのが入った。赤子は置かれた得物に向かって進んでいる。一瞬、掌を伸ばして得物を引き上げようかと思ったが、興味に負けてそのままにした。白き巨狼の黒くて深い双眸と自身のそれとが合う。
赤子は「あー、あー」となにやら喋りながら得物まで近寄った。灯火の下、おむつだけの小さな体躯はすっかり陽に焼けて黒光りしている。
四つんばいのまま左掌が伸ばされ、得物の鞘、ちょうど鍔の下を握ったのだ。まさしく剣士が握るのと同じように。
絶句した。さしもの斎藤も驚きを隠せず、それを指差しながら白狼に、それから仲間たちに視線を向ける。白き巨狼はただ静かに見返してきただけだが仲間たちはまだ気がついてはいない。
立ち上がりかけたそのとき、赤子がずりずりと引き摺りはじめた。太刀を、だ。
「まさか・・・」さらに言もない。腰を浮かせたまま固まった斎藤の視界の中、赤子は「関の孫六」を引き摺りながら這い進む。向かう先は仲間たちのところ。まっすぐその持ち主であり赤子にとっては従兄に当たる厳周の下へ・・・。
当初のずり這いからその速度もかなり速くなっている。斎藤と育ての親が見護る中、赤子は仲間たちの、厳密にいうと従兄のすぐ後ろに接近した。
厳周を含めてまだ誰も気がつかない。
「嘘だろう・・・?」赤子とはいえ生きているかぎり気配はあるはず。だが、それにはなかった。なにもないことにこのとき初めて斎藤は気がついた。
気配を消している。故意にそれを殺している。
ぞっとした。それが正直なところだ。こんなことありやしないしあってはならないのでないのかとさえ思える。また白き巨狼と視線が合った。その大きな口の端に笑みが浮かんだような気がした。
「おいっ、厳周、背後を取られているぞっ」その緊迫した斎藤の警告に、座したままの姿勢で反射的に背後を振り返った厳周。だれもいない。視線を下ろす。
厳周だけではない。全員が絶句した。
厳周の背後、文字通り懐の内に当たる距離で赤子が座っていた。その胸元にしっかりと「関の孫六」を戴いて・・・。




