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新撰組の「三馬鹿」と小さな小さな赤子

 「元祖三馬鹿」の一人である藤堂平助とうどうへいすけは、慶応三年(1867年)十一月十八日に死んだ。

 新撰組が人員補強の為に江戸で徴募を行った際、藤堂は同門の兄弟子である伊東甲子太郎いとうかしたろうを勧誘した。じつはその伊東、最初はなから胸に一物があっての入隊で、結果的に新撰組を敵にまわして暗殺されてしまう。その仇討ちの為に挑んだ戦いで返り討ちにあったのだ。

「油小路事件」と呼ばれるその暗殺は、新撰組から離党し御陵衛士となった裏切り者・・・・数名の生命いのちを奪った。そして、さして広くもないその道端に斬り刻まれた遺体が放置された。そのなかに藤堂の遺体も含まれていた。

 当時、監察方として密偵や暗殺の手助けをしていた山崎は、藤堂の背格好に似た体躯・・を準備していた。

「平助は逃せ」副長の土方の命により、御陵衛士抹殺の一隊の指揮を任された永倉と原田は、その命に従うべく一芝居打ち、藤堂をうまく争闘の輪の外に逃すことに成功した。が、その命はあくまでもその二人と土方の懐刀にしか下されておらず、事情を知らぬ平隊士は隊命に従って逃げる藤堂に追い縋り、その背を斬り付けた。それが致命傷となった。

 まさしく死ぬはずだった・・・。

 山崎が用意した遺体のお陰で藤堂は表向きには粛清されたことになった。そして、ほんのわずか歯車が狂った所為で致命傷を負った当人は、小さな仲間ののお陰でその生命いのちと想いを繋げることができた。

「しがらみなど似合わない。さきがけ先生、あなたの想いのまま、心のままに生きてください・・・」

 自身の生命いのちを助けてくれた小さな弟分の想い、そして土方の想い・・・。

 藤堂はその想いに応える為、潜伏先の福岡藩領内の片田舎で剣術の稽古に励んだ。そして必死に生きた。新撰組を含めた世の情勢は、時々訪れる商人からきいた。ずいぶんと遅れて伝えられるそれでも、彼にとっては貴重な情報源だった。そして、ある日生命いのちの恩人である弟分が死んだことを、自身の精神こころで感じた。

 藤堂は泣いた。三日三晩、寝食も忘れてひたすら泣きつづけた。弟分の死は無論のこと、その弟分をなにより大切に想っていた土方の悲しみを思うとさらに悲しみを与えた。

 日の本全土を巻き込んでの騒擾戦が終わり、こんな片田舎にも静かで肌寒い空気が流れ、野山が赤く染められた頃、藤堂はついに我慢できなくなった。いてもたってもいられなくなった。いまこそ土方のもとに馳せ参じなければいったいいつ恩を返せるだろう?

 小兵だが今若のごとき容姿の藤堂もまたその気性は一途で激しくなにより勇敢だ。「魁先生」の異名はすたれることはけっしてない。

 兎にも角にも、藤堂は潜伏先から飛び出した。まずは古巣のある京へ。そこへゆけば土方の消息がわかるだろう。

 

「元祖三馬鹿」は甲板上、陽光が容赦なく照りつける中並んで座禅を行っていた。

 精神修養。まずは精神こころを鍛え直すということで始めたそれは、意外にも血気盛んな「元祖三馬鹿」にわずかながらも「落ち着き」を与えた。

 

 三馬鹿の一人原田左之助はらださのすけの腹部には種類の違う二つの傷跡がある、一つは、まだ松山藩で中間だった時分ころ中間仲間との諍いで切腹をし、助かったときの傷跡だ。いつも呑む度に周囲にそれを自慢したものだ。しかもその一文字傷を自身の家紋にしてしまうほど原田は諧謔的なおとこである。背が高く、その容貌は土方にもけっしてひけをとらぬほどで、京にいた時分ころ巡察中や花街で文を貰うことも多かった。それは女だけに限らず、おとこからのも含まれる。

 男気が強く、女子ども動物にめっぽう弱く、いい兄貴分でもある。新八とは性格たちは真逆だがそれがかえった両者を惹きつけるのか、とりわけ仲がいい。

 甲州遠征後に近藤の気遣いで新撰組より離れ、その後は彰義隊の一員として永倉と行動を共にするが、江戸で一人病に伏せる沖田のことを案じて彰義隊をも抜けてしまう。そして、江戸へ再び舞い戻ったところで上野の戦に巻き込まれた。そこで薩摩兵が撃った弾に被弾、もう一つの傷が腹部にできた。

 まさしくそれは致命傷だった。出血多量で死ぬはずだったところを小さな弟分に生命それを助けられた。そして、その弟分は槍遣いの原田に宝蔵院胤舜ほうぞういんいんしゅんの秘伝も直伝してくれた。

 いまも呑む度ごとに種類の違う二つの傷跡を自慢できるのは、ひとえにその小さな弟分のお陰だ。そして、その二つ目の銃傷跡について語るとき、彼はきまって泣き笑いしながら語るのだった。

 小さな弟分の生き様とともに・・・。

 

 永倉は斎藤と同じく新撰組幹部の数少ない生き残りである。松前藩に帰藩を許され、蝦夷に行ったところで潜伏中の土方と再会、そこで一気に変心した。

「牙を抜かれ、爪を削がれた狼に成り果てるのは御免だ」

 大切なものを喪い、その喪失感でどうにかなってしまいそうな土方に、永倉は不敵な笑みとともにそういった。その言にはつづきがあった。

「鬼は鬼らしく思うままに生きちゃどうだい、えっ、土方さん?おれたち・・・・は鬼の手下てかとして生きる覚悟はしているぞ」

 その言は土方を心底はっとさせたと同時に心の奥にあるなにかを揺さぶるものだった。そしてなにより意外だった。

 新撰組時代、永倉はそのまっすぐすぎる性質たちでことあるごとに反発していたからだ。とはいえ、その根底には同門だった局長芹澤鴨せりざわかもを一言も相談することなく秘密裏に粛清した一件がわだかまっていたのだろう。その件以降彼らの歯車がわずかずつずれていったのだから。もうそのわだかまりがなくなっている、ということではないのだろう。だが、彼自身や原田を生かす・・・為にわざと怒らせ、新撰組から離反させた近藤や、新撰組そこから離れた後でも土方の命を受けて探しあて助けてくれた小さな弟分のことを思うと、いてもたってもいられなかったのだろう。

 そのどちらもがこの世にいないのだから。

 現在いま、松前藩でほぞぼそと生きている永倉新八。それは蟻通勘吾ありどおしかんごという新撰組の古参隊士だ。蟻通もまた同じようにその生命いのちを救われた者の一人で、伊庭たちとアイヌの集落で生活していたところを、身代わりとなることを快く引き受けてくれたのだ。実力がありながら他者ひとの面倒をみるのが嫌、という理由だけで平隊士でいつづけた変わり者。我流の剣の腕前は隊内でも屈指であった。今後、元新撰組幹部の生き残りということでその生命いのちを狙われることがあるかもしれない。それも蟻通は承知した上で「敵わんと思ったらさっさと逃げますよ。なにせ本物の「がむしん」じゃないんでね。背を向けることによる「局中法度」の違反、あんたが武士の名折れといわれたり卑怯者呼ばわりされること、これらは目を瞑ってもらいたいもんだ」おどけていう蟻通。永倉も笑って「逃げろ逃げろ。そんな連中は相手にするな」といってやったものだ。体躯こそ小柄ではあるが、要領のよさや頭の回転の速さから、うまく永倉新八を演じてくれるに違いない。

 そうして本物はいまこうしてここにいる。


「なぁ、赤子ってのはこんなもんだっけか?」

「左之さん、精神集中させてくれよ」

「おまえら、うるさいぞっ!」

 甲板は灼熱地獄。床板は最高潮に熱っされていて船員たちと同じようにシャツに七分丈のズボンを着た彼らにもその熱さは等しく伝わってくる。

 瞼を閉じ、心中で「心頭滅却すれば・・・」と必死に自己暗示をかけようとしていたところに邪魔をされ、永倉は瞼を開けて怒鳴っていた。その拍子に、眼下ををおむつ姿の赤子が熱い床の上をずり這いしているのが飛び込んできた。

「・・・?」永倉と原田は、京にいた時分に妻を娶りそれぞれ子をもうけた。原田はしげるという名の長男を、永倉は磯子いそこという名の長女を、妻とともに可愛がり、大切にしていた。そう、あの戦が起こる前のことだ。

「こんなもんでは?それよりも陽に当たって参っちまうんじゃないかな?」藤堂がのんびりとした口調でいう。無論、この中では唯一育児の経験がない。

「馬鹿いうな。この子はまだ三ヶ月だ。這うには早すぎる・・・」子ども好きの原田に永倉も同意した。「確かに。普通の子ならまだ首もすわってないはずだ」

「普通の子・・・」藤堂が呟く。三人ともこの赤子が普通ではないことを知っている。その三人の太腿の先を、遅々として赤子が這い進んでいく。

壬生狼みぶろ?」音もなく現れた白き狼。蝦夷に棲まう狼神ホロケウカムイ。この獣の王はこの三人の弟分の育ての親でもある。そして、その弟分は自身がばけものであることを周囲に信じ込ませる為、育ての親である白き巨狼の姿形なりを見せていた。さも変化へんげしているかのようにみせかけて。

 それを当時、京の町の人々が彼らのことを揶揄するのに「壬生浪みぶろ」と呼んでいたのに掛け合わせ、「壬生狼」と呼んでいた。

 狼神ホロケウカムイは呼びにくいので、いまでは獣の王のことを「壬生狼」と呼んでいる。

 赤子の行く手を太く逞しい白い脚が遮る。小さな赤子だ。信江の出産予定はまだ先だったはずが、環境の変化か他に要因があったのか、出航後間もなく生まれてきた。早産で小さかったが元気な子であった。

 そして、その生まれてきた子の左の瞳は金色の光を宿していた。

 小さな小さな二つの掌をしっかりと床板につけて這い進む。白い毛に覆われた二本の脚の前までくると、赤子は這うのを止めた。それからせいいっぱい腕を伸ばして小さな掌で白い毛に覆われた狼の脚を掴んだ。その刹那、狼の眉間に皺が寄った。

「雑念は捨てよ」愉しげな声音でいいながら近寄ってきたのは厳蕃だ。尾張蕃藩主の元剣術指南役であり、尾張柳生の前当主。とはいえ、さほどの年齢でもなくさっさとその座を息子に譲った自由人。現在いまではこの一行の心技の師である。流派を越え、だれもが彼を師として認めていた。そして、唯一彼だけはいまだ着物に袴、という和装だ。腰には徳川家では禁忌とされている「村正(むらまさ)」を佩いている。

「ほう・・・」厳蕃は三人がみているものを見下ろした。常からなんの気も発することのない厳蕃はいまも手練れ三人がその存在を認めるよりも早く近寄っていた。そんな気配のない厳蕃に見下ろされた刹那、赤子が重い頭部を上げ、その小さな双眸を厳蕃に、実の伯父に向けたのだ。

(この子は・・・)赤子の二つの瞳の奥に垣間見えたものは・・・。

 厳蕃は無言の内に自身の得物を鞘ごと腰から抜くと鯉口を切ってその柄を赤子の眼前に差し出した。視線が厳蕃の双眸から柄頭へと移り、白狼の脚を握っていた小さな掌がそこから柄へと移る。小さな体は床板の上で、必死に伸ばされた右腕の先にある小さな掌。小さな掌は柄を握るにはやはり小さすぎる。それでも意に介さず柄頭に添えられた掌がゆっくりと自身の胸元へと引き寄せられてゆく。すると鞘の中から「村正」の刀身がその妖しげな光をたたえながら徐々に現われはじめた。

 抜いている。鯉口を切り、柄頭をわずかに下へと向けているとはいえ、そうやすやすと抜け落ちるものではない。「村正」じたいそう軽くて薄い刃ではなく、どちらかといえばあまたある業物の中でもがっしりとした部類に入る造りだ。それを生まれてまだ三ヶ月の、しかも普通の三ヶ月の子よりも小さな子がその小さな掌で掴んで抜いているのだ。

 無言でみつめる人間ひとと獣・・・。

「あー、おれ、なんかすごくやばい気がしてきた。この子が歩けるようになる時分ころには、おれ、もしかすると一本とられるかも?」

 藤堂が場の雰囲気を和ませるかのようにおどけていったが、それはけっして的外れの言ではない。

 なぜなら、この子と同じように金色の瞳をもって生まれてきた子は、三歳みっつのときに初めて握った太刀で二十名以上の武士さむらいを斬殺したからだ。

 そう、それはけっして的外れではない・・・。



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