信江の亡夫
イスカとワパシャの故郷も近いという。
自然と歩む、否、騎馬に歩んでもらう速度も速くなってくるというものだ。
『母さんは、副長の前にも旦那さんがいたんだよね?』
その午後、妙高を馬車に寄せると玉置がそんなことをいいだした。妙高は赤栗毛の牝馬で、じつにお淑やかな、まさしく淑女だ。睫毛が長く、ぱっちりお瞳瞳。やけに色っぽくもある。人間は、さぞ牡馬にもてるだろうな、と噂したものだ。
『まぁ!なんなのこの子は?そんなことをきいてどうするつもりなの?』
信江の叫びだ。全員が注目した。
『ああ?まさか副長亡き後の三人目の夫の座を狙ってんじゃねぇだろうな、良三?』
永倉もまた、金剛を寄せてきた。
『ちょっと待て、新八っ!』
この日、馬車の一台の馭者台には、土方と信江が、間にケイトをはさんで乗っていた。無論、馭しているのは土方だ。
鋭く静止した土方の眉間に、いつものように深く濃く皺が刻まれている。
『おめぇ、このまえ話し合ってたときも、副長がくたばった後、信江を口説いたら靡くかも、なんてことぬかしてやがったし、ついこのまえも、弾丸斬りできねぇおれは、確実にくたばってた、っていってたよな?おれにそんなに死んでもらいてぇのか、おめぇは?』
驚いたのは永倉だけではない。全員が、それぞれの鞍上で驚くとともに、馬車に再注目した。
言の葉一つ一つを覚えている土方の記憶力、というよりかは集中力がすごい。否、それ以前に、それを根にもっているというところが執念深い。
『待ってくれ、副長。おれはなにも、そういう意味でいってんじゃねぇ・・・』
『わかった、もういい・・・』永倉の言の葉にかぶせ、土方は静かに告げた。
なにか不気味だ。永倉は身震いした。
『あーあ!新八さん、そのうち寝込みを襲われて、五寸釘でも刺されて蝋でも垂れ流されるんじゃないんですかぁ?』
くつくつと笑いながら、二枚目天城の鞍上から沖田がいった。
それは、京で土方が長州系の間者古高俊太郎に行った史上最悪の拷問だ。もっとも、そのおかげで、吉田稔麿や宮部鼎蔵ら尊皇攘夷派の志士らが、京に火を放ち、帝をさらう計画を話し合う「池田屋」での摘発を行い、それを阻止できたのだ。
『冗談ですよ、副長』
力いっぱいの「鬼の一睨み」を喰らい、沖田は両の肩を竦めた。
『で、なにゆえ、いまの問いなのだ?』
土方は、あらためて玉置に問うた。じつは、気にしていた、といってもいいことだった。だが、漢として、前夫のことなど尋ねることなどできない。矜持にかかわる。
『どんな漢が好みなのかなって、思っただけです、副長・・・』
何気ない一言が、とんだことになったと、玉置は内心気が気でない。
『正反対だ。疋田忠景は、やさしく穏やかな漢であった』
なにゆえか、答えたのは問われたはずの信江の実兄だった。
幾人かが噴出した。突っ込みどころがありすぎる。しかも、とらえようによっては、土方が思いきり嫌な漢であるかのようだ。
『父上っ!』さすがは突っ込み役の息子厳周だ。土方自身が口唇を開くよりもはやく、口唇を開いた。
『それではまるで、叔父上が気性が荒いだけの暴漢ではありませぬか』
『厳・・・周・・・?』
土方は、呆然と呟いていた。その隣で、ケイトは驚いて土方の横顔をみつめている。そして、当の信江もまた夫の横顔をみつめていた。が、そこにあるのは、おかしそうな笑みだ。
『しかも、剣の腕は一流。それだけでなく、和歌や句にも造詣が深く、尾張柳生、江戸柳生の指南役として人望、信頼があり、将軍家や尾張徳川家から寵愛を受けていた、などと・・・』
厳周にはまだつづきがあった。
『・・・』
土方には、もはやいうべき言がなかった。
その後ろの荷台で、白き巨狼が口唇を上げ、牙を剥きだしにして笑っていることなど、気づくよしもなかったのだった。




