父と息子
キャプテン・バロンは賞金首だ。ニックはなんの迷いもなく海賊たちをそれらが捕らえ酷使したり船倉に押し込めていた気の毒な人たちに引き渡した。彼らが複数の政府から得る賞金はすくなくない。きっと有効に使い、これまでの奪われた時間とこれからの将来双方に活かしてくれるだろう。
そう、まさしく昔、「竜騎士」がやってくれたときと同じように。そして今回、直接退治したのがその親族や仲間たちであることは、ニックにとって運命を感じさせずにはいられなかかった。同時にあらゆる絆の結びつきも。
「竜騎士」は肉体こそこの世にはないがその精神はしっかりと存在している。そう強く確信できた。
仲間が二人増えた。どうも亜米利加の呪術師らしい。海賊から解放され、自由になったというのに一緒にいきたいという。右も左もわからぬ一行のいい道標、水先案内人となるに違いない。その奇抜な姿態に「The lucky money(幸運の金)」号の乗組員たちも興味津々だ。そして、当人たちはいたってわが道をゆくだった。久々の自由を満喫し、なにより海そのものを感じているようだ。龍神を守護する為に併走する海豚や鯱をそうと知ってか知らずか欄干から身を乗り出すようにしてみ、そして喜びの唱を詠っている。
スー族の戦士イスカとワパシャ、内陸で生まれ育った彼らは現在やっと大海原を満喫することができた。
ひとえに大精霊と精霊を操る人たちのお陰だ。
「あの子らはどうしている?」
船尾に佇んでじっと濃く深い海原の闇をみている義理の兄に近寄ると、その遠間に入る前に背を向けたままの状態で訊ねられた。背後を取るつもりなど毛頭ないが、自身の迂闊さに苦笑しつつ返答する。
「信江がホットチョコレートなるものを与え、側についてくれています。あいつらは大丈夫ですよ。厳周には・・・」
息子の名前に、漢にしては華奢な両肩がほとんどそうとはわからぬほど揺らいだ。
「新八が・・・。ご心配には及びません。新八はああみえて他人の機微に敏く、口達者です。事情に詳しくそれでいて家族でもない。そして、なにより他人を傷つけることが嫌いな性分です。うまくやってくれます」
厳蕃は無言で頷いただけだ。意外だとは思わなかったのだろう。数年前、京の新撰組の屯所で出会ったときから永倉新八はある意味気になる存在だった。敵になった場合、厄介な剣士になりえたはずだ。そして、斎藤。こちらは自身と同じ臭いをさせていた。一流の剣士でありながら暗殺に従事し確実にこなすところはかなりの精神力の持ち主に違いない。だが、こうして付き合ってみみると、この剣士もまた暗殺者には向いていないことがわかる。剣の技のみならず剣にまつわることに詳しくもある。剣そのものが大好きなのだ。
それ以上にその斎藤に穢れ仕事をさせていた「鬼の副長」こそ、もっとも警戒すべき相手だったはずだ。
知らずとはいえ稀代の暗殺者たる辰巳を心酔させ、文字通りその命運をも握ったのだ。
「親馬鹿、だな。声を掛けてやりたくともそれが余計に負担になるだろうと掛けてやれぬ。それ以上にわたしが暗殺者であることを知ってしまった。なにをどう取り繕うと、もはやそれは駄弁に過ぎず説得力など皆無だ」
陽も暮れたというのに熱気を孕んだ乾いた空気よりも乾いた笑声が漏れた。
「正直、ぞっとする。わが息子ながら見事な手練といわざるをえぬ・・・」背を向けたまま欄干に両肘を置いて頬杖をつく義理の兄。その義弟は距離を置いて同じように欄干に背を預けた。
「なにがあったのです?厳周の得物はなんといったのです?」
「別に忍び込んだ海賊どもにこの船の乗組員が楯に取られた。あっという間のできごとで、それを察知して駆けつけ丞と鉄の二人が楯に取られた乗組員を救い出しはしたが、そのときには中央では乱戦になっていた。銀と良三は、ニックら乗組員を救う為発砲するしかなかった。仕方なかろう?乱戦になれば狙いを定めるのも至難の業。焦りと緊張、怒りや不安、そういったもので混乱し、人間の基である本能が敵の眉間を反射的に狙わせ、幸か不幸か命中させた。それは狙撃手としては優秀だし完璧だが・・・」
なんの感情もこもらぬ単調な声音。甲板にある灯火もここまでは届かない。それでも、弦月と満天に広がる星の光で夜目に慣れた土方には義理の兄の表情をみて取れた。
「息子は冷静だった。その場にいた誰よりも息子は状況を把握し、完璧に対処していた」
じっと暗い海をみている義理の兄。そういえば、夜、海豚や鯱たちはどうしてるのだろう?眠っているのだろうか?とどうでもいい考えが浮かんだ。小波が耳朶に心地いい。昼間の疲れから、瞼を閉じれば刹那眠れる自信がある。
「たった一言、海賊一人が発したたった一言だ・・・」真っ暗闇から視線を転じると、そこにあったのはその闇と同じように深く濃い義兄の双眸。
「下に女がいるぞっ!この一言が瞬時に七人の生命を奪ったのだ」
抑揚のない言に土方は唾を呑み込んでいた。この船に女は二人しかいない。甥は自身の叔母のことで眼前の敵を斬殺したのだ。その太刀筋は誰にもみえなかっただろう。太刀で動く相手の頚動脈を血を奔出させぬよう斬ることがどれほど難しいことか・・・。自身には到底できぬ手練だし、できる者もそう多くはない。それをできる者は知っているだけでもたった二人しかいない。しかも一人はこの世におらず、いま一人は眼前にいる。
「馬鹿な子だ・・・」それはけっして非難めいてはいない。「あの子は早くに母を亡くし、信江に育てられたようなものだ」小ぶりの相貌を左右に振りつつ嘆息する。「これが兵法家としては失格だということはわかっている。が、その反面、わたしの子が叔母の為に激情する人間の感情を持っていることを知って安堵した。無論、死者には申しわけないがな。歳よ、われわれの進む道に無殺無斬は難しい。だが、できるかぎりあの子らには人殺しという罪を背負わせたくはないのだ」
「厳周はもとより感情豊かです。これが信江だけでなく仲間の誰であっても同じ反応を示したはずです。それに、厳周はすでにさまざまなものを背負わされています。おれからしてみれば、あれだけ若いのによく押し潰されずにやってるなと感心しますよ。しかも、素直で他者を思いやれるいい性質です。たった一人で柳生という家や名、多くの門弟を背負い護らねばならない。われわれのように仲間に依存することなく、ね。ですがこれからは違う。一人ではない。われわれ仲間がいます。彼もそれを理解し、背負うものをわけてくれるようになるはずです。それに、生命の大切さは、それに直面してみないとわからないものです。死者には申し訳ないですが、彼にはこれが必要だったのでは・・・」
はっとして口唇を閉じた。これもまた眼前の、あるいは自身の息子のうちなるものの支配下でおこったことなのか?
ふふっ、と小さな笑声。義理の兄が笑っていた。いまは小さな背を欄干に預け、義弟を見上げている。
「すまぬな。なんでもかんでもそう結び付けてしまうのも無理はない」心中をよんでいるのだ。「じきに慣れる」それは土方の考えを肯定しているのだ。
「こいつも馬鹿なやつだ」自身の胸元を四本しか指のない掌で叩く。「息子に人殺をさせ、この皺首を刎ね飛ばす準備をわざわざさせてくれているのだから」
「・・・」掌を伸ばして義兄の肩を叩きたい衝動に駆られた。どんな言よりもその方が有効的な場合がある。だが、拒絶されることもわかっていた。あいつがそうであったように、他者に触れられるのを嫌うだろう。
「おれも幼い時分に両親を亡くし、姉に育てられました。やさしいがとても気のきつい女性で、生涯、頭が上がりませんでした。厳周もでしょうか?兎に角、彼には礼をいわねば。それとよくやってくれた、と。彼の腕があったればこそ、ここに残ってた仲間とニックたちが無事だったのです。おれもいまは身内に、仲間に恵まれすぎています。怖いくらいだ」
「すまぬ。そう申してくれると息子も救われるだろう。ところで、これでわれらの戦闘能力の高さがわかったわけだ。副長、どうだ?鍛錬を積み、実戦を経験し、ほとぼりが冷めた頃、舞い戻って戦のつづきをしてみては?」ふふっと笑う義兄の双眸は夜目にも笑っていないことが見て取れる。「考えておきますよ。これもまた支配下にあるのだとしたら、まんまとのせられるのも癪だ。もっとも、のせられない選択も支配下なのでしょうが」
「わたしになにも口をきくな、とでも?わたしだけではない。これから、あの子が喋れるようになったら大変だぞ?父上、これはなんですか?あれはどういう意味ですか?どういうことなのですか?なにゆえ?歳、いまのおぬしのようにいちいち推し量っていたら病むぞ。気楽にいこう」船員たちがよく掛け合っている異国の言葉。それにつづき、分厚いが四本しか指のない小ぶりな掌がひらひらと舞う。
「気になって仕方なかっただろう?これが?」その心奥にある疑念を持たれた側がいたずらっぽい笑みとともに口唇の端に上らせる。
「これがわたしの代償だ。あの子らの左の瞳がわたしにとってはこれというわけだ」掌をひらひらとさせながら吐き捨てる。「眼はみえているがこれだ。いまいましい。わかるであろう、おぬしにも?」
よくわかる。それは剣士としては致命傷。生まれながらに剣士として否定されている証。
それを克服する為に、そして認める、あるいは認めさせる為に払った努力とそれに伴う犠牲。
まさしく、甥であるあいつと同じ。あいつと同じだ・・・。




