信江のタマ斬り
信江は、「千子」を帯刀したままただそこに立っていた。わずかに腰を落とすことも、はたまた柄や鍔にかける指先に精神を集中するわけでもない。
真にただぽつねんと立っているだけだ。
かえってスタンリーのほうが緊張していた。銃床を頬に当て、照星を真向かいの華奢な女性にぴたりと合わせた。一滴の汗が額からゆっくりと落ちてきて眼のなかに入った。背筋の方では、さらに多くの汗が流れ落ち、幾つもの筋を作っている。
傭兵として、あるいはニックの船の用心棒として、幾度も戦争やら揉め事やらに駆けずりまわってきたが、無抵抗な人間を狙って撃ったことなどなかった。女子どもなど、あるいは男でも、民間人などを故意に狙い撃ちすることなどなかった。
西の国の大和撫子が凄い、ということはわかっている。が、それは周囲にいる漢たちが紳士で、わざと力を抑えたり崇めたりしているだけだろうと思ってもいる。それがこんなことになるなんて・・・。
(なんてこった!)スタンリーは、思わず心中でDHN単語を発していた。それは、「信江に地獄に落とされる」を略した禁句である。
刹那、『臆病者っ!』と信江自身がDHN単語を大音声で発した。それは、静まり返った平原のすみずみまで響き渡っていきそうだ。
馬たちが息を呑んだ。そして、人間は、息と言葉の双方を呑んだ。
「くそ!」さしものスタンリーもその最上級のスラングにかっときたらしい。DHN単語を返すとともに引き金をひいた。
「パーン!」乾いた音がDHN単語につづいた。
それは、厳蕃と厳周の柳生親子だけがかろうじてみえただけであった。それ以外の漢は、動いたのか?と感じることもできなかった。
構えを解き、熱をもったライフルを胸元に下ろしながら、スタンリーもまた、なにがあったかもわからない。自身は、たしかに信江の眉間を狙って引き金をひいたはずだ。この距離だ。万が一にも外すことはない。
おもむろに厳蕃が信江の前にやってきて、上半身を折ってから掌を伸ばして地面からなにかをつまみ上げた。
『お見事、わが妹よ』
そして、兄は妹ににっこり笑いながら掌の上のものを示した。
『ありがとう、兄上』
妹は、兄の掌の上のものに一瞥くれただけだった。
『みるといい』
厳蕃は、右と左の掌に一つずつもち直すと、それらを頭上に掲げた。昇ったばかりの太陽が、その銅色の塊を照らしだしている。
弾丸だったもの、を。ライフルから発射された弾丸は、横なぶりにされた一振りによって、まるで魚を下ろしたかのように切断されていた。
それは、鞘から抜かれ、鞘に納まるまで、文字通り神速でおこなわれたのだ。
「「豊玉宗匠」、腰が抜けてるだけじゃなく、顎まで落ちてますよ」
「副長、大丈夫ですか?」
「副長、いまさらだが、あんた、とんでもない女神を妻女にしちまったな」
沖田、斎藤、永倉もまた、ただ呆然としていたが、しばしのときを置いてやっとわれに返った。それから、神業を披露したばかりの信江の夫をみた。
口をあんぐり開け、わなないている夫のことを、気の毒以外に思いようもない。
腰から鞘ごと抜いた「千子」を小脇にし、掌には切断された弾丸をのせ、近寄ってくる信江。
『紳士の方々、いかがでしたでしょうか?わたしもまだまだ、でしょうか?』
爽やかな笑顔とともに投げかけられた問いに、三剣士はぶんぶんと相貌を左右に振った。
『あなた、よろしいですわね?』
夫の胸先に押し付けられた得物と真っ二つにされた弾丸・・・。
なにがよろしいのか?三剣士だけでなく、夫にもわからなかったが、だれも尋ねる勇気はなかった。




