ぶっ放せ!
居合い抜きができないのだ。土方は妻にそう告げた。正確には、弾丸を両断する為の居合い抜きなどできやしない、と。
試してもいないのに、なにゆえかようなことを仰せになられます、と妻は反論した。それはたしかに正論だ。
いや、試すというところが問題なのだ。失敗すればただではすまぬ。そこがおおいに問題なのだ、と土方はさらにいい募った。それも正論だ。
ならばわたくしがお手本を示します。その動きどおりになされませ・・・。
結果、妻は夫に掌を差しだした。暗に得物を、土方の愛刀である「千子」を貸せ、という意味だ。
土方は仰天した。自身もそうだが、妻にもそんな危険な業など試してもらいたくない。ゆえに断った。
妻はそうとはとらなかった。女だからできぬ、と曲解してしまった。
そして、「犬も喰わぬ大喧嘩」へと発展した。否、土方が一方的に責めたてられることとなった。
土方は誤解を解こうとがんばった。が、こと女だから、にこだわる妻はきく耳をもたぬ。ついに、「千子」をとり上げられた。強引に奪われたといっていい。
『スタンリー、連射していただいて結構ですわ。フランク、あなたもです。わたくしたちは、女子どもだからとて、男子に劣るわけではけっしてありませぬ』
信江とその幼子とは二十間(約36m)ほど距離を開けた位置に、スタンリーとフランクが立っていた。二人ともライフルをもっている。通常より十間ほど近い。
信江は腰に男性用のベルトを巻き、そこに「千子」を帯刀した。息子のほうはくないを胸に抱いている。
スタンリーもフランクも当惑していた。信江もその息子も、強いことは知っている。が、それとこれとは話が違う。かのじょらに向けてライフルを、実弾をぶっ放すのだ。怪我どころの騒ぎではない。しかもこの距離だ。死んでしまう。
「義兄上、どうか止めて下さい」
土方は、妻の頑固さに、ついに義理の兄、妻の実兄に助けを求めた。
「なにをだ、義弟よ」義理の兄は、落ち着いた様子できいた。
「なにをって、あれをご覧ください。無茶もいいところだ。おれは妻子を一度に亡くすかもしれないのですよ」土方は気色ばんだ。が、大声ではいえぬ。声量はかぎりなく抑えた。
「おおげさな。死ぬことなどあるものか」実兄は秀麗な相貌に皮肉げな笑みを浮かべた。
「そんな、義兄上・・・。ならば厳周、叔母上と従弟を止めてくれ」
義兄のあまりにも無責任な態度に業を煮やし、つぎは甥っ子に白羽の矢を立てた。だが、意に反し、甥っ子の厳周もにっこり笑って叔父にいった。
「お案じめさるな、叔父上。叔母上の動体視力はわれわれ親子よりもすぐれております。さらには居合い抜きも同様、尾張柳生のあまたいる剣士のうちでも、叔母の居合い抜きは五指に入りまする。従弟は、その上をゆく感覚をもっています」
さわやかな笑顔だ。土方は眩暈がした。
「放っておけ。力を示せば満足するであろう。それよりも義弟よ、この後にさせられる自身のことを案じたほうがよいぞ」
「なっ、なんですと、義兄上?これで終わりではないのですか?」
「冗談を申すな!妻子にだけさせるわけにもゆくまい?」
土方はさらに眩暈がした。実際、足許がふらついた。左右から土方至上主義派の山崎と斎藤が支えなければ、土方は倒れてしまっただろう。いや、いっそのこと卒倒でもすればいい、とさえ思った。
『遠慮せずにぶっ放せ、スタンリー、フランク。殺すつもりでな』
『兄上っ!』『伯父上っ!』
厳蕃のいらぬ激励に、信江とその息子が同時に叫んだ。
『ケイト、おいで、女子でも子どもでも、男どもよりもすごいということを、一緒にみよう』
厳周は、不幸な生い立ちの少女を招き寄せるとそう囁いた。
全員が、これから起ることを固唾を呑んでみ護った。