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夫婦喧嘩は神々も喰わぬ

「あなたがされぬと仰るので、わたくしが、妻のわたくしがしようと申しております。それ以前に、ためしてもいないのになにゆえできぬと申されるのか、その方がわたくには理解いたしかねます」

 妻の掌に握られた「千子」、それは無論、土方の得物だ。土方は、妻の掌中にある自身の得物に視線を走らせた。

「いや、やはりためすまえからわかってる。ああ、わかってる。おれにはできねぇ。第一に、おれにはもともと剣術の才がねぇ。第二に、おれはもともと、剣術なんて型にはめられたもんはきれぇだ。第三に、おれはもともと、こつこつと地道に研鑽を積む、なんてことが苦手だ。第四に、おれは鍛錬なんて努力をすることがきれぇ・・・」

「もう充分でございますっ!」妻はきれた。「千子」を左の掌に握ったままぶんぶんと振りまわす。鞘に納まったままの「千子それ」が、女子おなご細腕・・によって軽々と振りまわされている。

「剣術を悪しざまに申されるとは・・・。ここにいる男子おのこのほとんどが、幼少の時分ころより大好きな剣術をはじめ、こつこつ地道に研鑽を積み、日々鍛練をおこなうことで、それぞれの流派にのっとった技や型を身につけ、現在いまにいたっています。それをすべて否定されると?それらがすべて無益なこととでも?悪の所業とでも?」

 幼少の時分ころより剣術がすべてだった信江にとって、剣術それは人生そのものなのだ。剣術それは、二人の夫、二人の子、両親、姉兄、そして、甥と同様に大切なものなのだ。

 それを夫が罵った。すくなくとも信江にはそうきこえた。そう解釈できた。

「いや、待ってくれ信江・・・。おれはなにもそこまで・・・」

「こたびは許せませぬ、あなたっ!」

 信江の一喝。いまや全員が、言の葉のわからぬ亜米利加このくにの民までもが注目していた。


「これはみものだよね」

 にやにや笑いながら、だれにともなくいったのがだれか、はいうまでもないだろう。その両隣で、土方至上主義の二人、山崎と斎藤がおろおろしている。

 とめようにもとめられぬ。信江をとどめることなど、ここにいる人間ひとでいるわけがない。

「神様よ、とめてやっちゃくれねぇか?あれじゃぁいくらなんでも副長が気の毒だ」

 原田は、自身の足許でお座りして眺めている白き巨狼にいった。ふさふさの尻尾が右に左に土を掃いている。

『できぬ』刹那に、しかもきっぱりと白き巨狼がいった。にべもなく、というのはこういうことを表現する。

『夫婦喧嘩は犬も喰わぬ、というではないか?』ふさふさの尾は、つぎは上に下にと振られている。

「いや、犬じゃねぇだろう?」原田だけでなく、周囲にいる全員が心中で突っ込んだ。

「ならば夫婦の身内の神様よ、どうか止めてくれ」

 懲りない原田は、つぎは身内でもある大きいほうの神様に懇願した。

「できぬ」大きいほうの神様もまた、即座にきっぱり、にべもなく答えた。

「再起不能になるまで罵られたくない」白き虎の神様をうちに宿す身内は、かぎりなく低い声音で呟いた。

「だー、もー!」原田は地団駄踏んだ。ちょうどそのとき、神様であり、夫婦の最親近者である幼子が振り向いたので、原田は掌をお天道様のほうへ向け、亜米利加このくに式のおいでおいでをした。くないを胸元に抱えたまま、てけてけと駆け寄ってきた小さな神様に、原田は同じ願い事を繰り返した。

「できないよ、左之兄・・・」やはり即座にきっぱりにべもなく、しかも悲しげに答えるちいさな神様。

「お顔に接吻キッスの嵐を降らされる・・・」切なそうに、それでいて真っ赤になって呟く、蒼き龍を内に宿す幼子・・・。


 ひとえに、土方ができない、といってしまったことが悲劇のはじまり、だったのだ。




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