人殺(にんさつ)の果て
「あいつは・・・」おれは自身の仲間たち一人一人に視線を送りながら口唇を開けた。
敵である海賊どもはふん縛られておとなしくしている。おれたちの様子がおかしいことは言語がわからなずとも感じ取っているはずだ。おれの背後で野村と相馬に両脇を固められている敵の首魁をはじめ、全員がこの機を利用しようと心中で算段しているだろう。
せいぜい考えあぐねればいい。この機を逃せば次はないのはおれも同じだ。
肌に感じる空気がわずかに湿り気を帯びている気がする。空には雲一つなく、あいもかわらず太陽がぎらぎらと光っている。いつもだったら熱く乾いた空気だ。雨が近いのか?それともおれの気の乱れによる錯覚か?
「柳生俊厳はこの世に生を受けたこと自体を否定された。片目の色が違っただけで生まれてすぐにすべてを奪われた」
子どもらを、生まれて初めて人間を殺した田村と玉置をみた。そして市村・・・。市村は蝦夷の戦で敵を傷つけた経験はある。その子どもらもおれをみている。そのどの眼も怯え、不安の色が濃かった。ゆうに七、八間は離れているのにそれがよくわかった。
「蝦夷に捨てられ、狼に育てられた」その育てた狼の頭を撫でる。「人間すらなにかよくわからぬ三歳のとき、神と自然の禁忌を犯した武士二十数名を太刀で斬り殺した・・・」おれは一語一語を慎重に吟味し、話していいぎりぎりのところだけを話し進める。
「それがあいつの殺しの最初で、それから昨年蝦夷で死ぬまで人間を傷つけ、殺すことをつづけた。三十年近く、だ。あいつは十歳のときに自らの心の臓を刃で貫いたんだ」
「仮死に近い状態だ。心の臓の機能は低下し、低下した分はうちなるものが補った。ゆえに、心身のあらゆる機能は十歳のままで止まっていた。そう、人間としてはほぼ死んだようなものだ」
同じ状態になっている漢が穏やかな口調で説明してくれた。父親が仮死に近い状態であることを息子である厳周は知っているのだろうか、とふと案じてしまう。
「その直後におれはあいつと出会った。かっちゃん、近藤局長とともに。かっちゃんはその当時から「武士になること」が夢だった。そして、おれの夢はそのかっちゃんの夢を叶えることで、あいつのそれはおれのその夢を叶えることだった・・・」知れず笑みがこぼれてしまう。総司と視線が合った。かっちゃんの話しだからだ。このことは総司も知らない。めずらしく驚いた表情をしている。
「追われていること、そしておれにうちなるものの姿をみせてしまったことで、あいつは姿をくらますしかなかった。おれたちの記憶を消して。そしておれはかっちゃんと田舎で過ごし、あいつは異国へと旅立った。異国での活躍は、まあいうまでもないだろう。船乗りであり商人のニックでさえ「竜騎士」の武勇を知っているくらいだから」そういえば、あいつの二つ名である辰巳といい、「竜騎士」といい、龍にまつわるものばかりだ。偶然というには皮肉すぎる。
「ほとぼりが冷めた頃、あいつは戻ってきた。油断のならないあいつのことだ。情勢を調べに調べ、その上で試衛館にやって来たんだろう。それからのことは、ここにいるほとんどの者がみてきている。みな、わかってはいると思うがあいつが護ってきたものは新撰組という小さな組織とそこにいる仲間やその矜持だけじゃねぇ。あいつは三歳から十歳までの間、要人の暗殺や警護をしていたらしい・・・」
「そうだ、その中には大名、公卿も多くいたし、将軍家、そして帝の御霊を護ったこともあった。わが藩主尾張公もそしてその実弟たる会津候も生命を護ってもらったばかりかそのお陰でその地位に就けたのだ。その結果が将来どうなったかは別としてな」
義兄のいうとおりだろう。だが、継承権争いで生命を奪われるのと地位や矜持、尊厳を奪われるのとではどちらがどうなのか?前者は自分自身と周囲の人間の生命を失うだけで済む。だが、後者は、とくに会津候の場合などは戦で多くの生命が奪われた。尾張公にしても戦には関与しなかったが、家中で粛清があり奪われた生命はすくなくない。
これもまた|うちなるもの(神)の定め給う運命なのか?なぜなら、あいつが尾張公と会津候の生命を暗殺によって奪っていてもおかしくないからだ。あいつは兄弟を生かすことを、護ることを選んだ。否、それはあいつではなくうちなるものが、ということか?より多くの人間の生命を淘汰する為生かさねばならなかったのか?
うちなるものを身に宿す漢と視線が合った。いまはこんなことを考えている場合ではない。
「あいつは、おれたちを護るのと同じように帝、将軍、会津中将や桑名少将を文字通り孤軍奮闘して護った」
護りきれなかった人間も確かにいる。坂本龍馬、将軍徳川家茂、そして先帝・・・。先帝はじつはあいつにとっては異母兄にあたるが、これは語る必要のないことだ。
「どんな相手、どんな敵であろうとあいつの暗殺は完璧で、殺す相手への敬意も忘れなかった」自身がさせてきた暗殺の数々。局長の芹澤、そして直接ではないにしろ参謀の伊東もやはりあいつの力があってこそ暗殺を成し遂げられたのだ。
「殺す度にあいつは自身の精神をも削っていた。罪悪感に耐え切れず、自身の体躯を切り刻んだ」また視線が合う。同じことをしている漢と。おれはそれを引き剥がし、その息子の方をみた。初めて人間を殺してしまったばかりの義理の甥は、憔悴しきった表情でおれをみている。義理の甥にとってあいつは従兄にあたる。そして、田村と玉置。二人も昔の仲間の壮絶な生き様を知らされ、驚きよりもむしろ戸惑っているようだ。
「させた側に罪があるってのに、あいつは全部しょいこんでた。最初から暗殺など向いちゃいなかったんだ、なんであんなに強かったんだろうな?いっそ、腕がそこそこか人殺しなど息するみたいに平気な性質だったらな・・・」不覚にも声音が震えた。新撰組の仲間たちの脳裏に浮かんだであろう共通の名。大石鍬次郎。あいつこそが本物の暗殺者。それは腕前の方ではなく、性質においてだ。その末路もまた自業自得とはいえ悲惨だった。
今度は斎藤と視線が合った。あいつほどではないにしろ、斎藤もまた暗殺者としては不向きであることをおれはわかっている。もくもくと穢れ仕事をやってくれた。腕が立つしなにより信頼できたから。会津候の間者であることを知っていても、それでもおれは信じていた。否、それはいまでも同じだ。いつも飄々としていてけっして自身の想いや望みを語ろうとしない。それをいいことに、おれは利用しつづけている。あいつの二の舞はさせたくない。斎藤は生真面目だ。そしてなにより一流の剣士だ。いまさらながら自身がさせてきたことに、強いてきたことに罪悪感を覚える。そして、斎藤はもう一振りの刃が失われたことに対しても自分自身を責めている。おれはそれも知っている。
「身も精神もこれ以上にない位傷ついていた。かっちゃんを武士にし、おれの生命を助けた。うちなるものが人間にすることに耐え切れず、あいつは死にたがっていた。多くの人間の生命を奪ったあいつの最期は・・・」
ここにいるのは、おれと同じ国で生まれ育ち、ともに戦い生き抜いてきた仲間のみ。無論、四つ脚と翼ある鳥獣もそこに含まれる。その誰もが息を潜めおれをただじっとみている。
おれの眼前にあるのは大海などではない。蝦夷の地、遅咲きの桜の大樹から舞い落ちる桜の花びら。そして、「千子」を握ったあいつの姿。致命傷を負い失われたのは血だけではなかったはずだ。ゆっくりと振り翳される白刃。伸ばせども届かぬ掌。そして大きくはりあげても届かぬ叫び・・・。
一閃。見事なまでの袈裟斬り。頸の皮一枚を残して斬首する手練を持つあいつでさえ自身のそれをするにはよほどの覚悟がいったはずだ。そして、あいつは皮一枚残さず文字通り胴から跳ね飛ばしやがった。迷い、怖れ、すべてを断つかのごとく。だが、そのわりに血が迸らなかったのは血が失われていたという理由だけではなかったはずだ。
「自身の頸を跳ね飛ばした。あいつはそうすることで人殺しの末路を示した・・・」
義兄以外の相貌に浮かんだ驚愕の表情。これまで人殺の経験があろうとなかろうと仲間の壮絶な最期に等しく衝撃を受けだろう。おれはわざとそういった。それが義兄の意図したことだとわかっていたからだ。だが、違う。そのような単純なものではない。単純なものではなかった。
いまはあくまでも人を殺すことに対する戒めや慰めが論点。ここではそれに終始すべきなのだろう。
おれは知ってしまった。あのとき、感じてしまったのだ。あいつの真の想いを・・・。
それがおれをずっと苦しめている。
信江にすらいえぬあいつ自身の想い・・・。
感じなければ、おれはすこしでも楽になれたのか?
坊、いや、龍よ、おまえを死なせるべきではなかった。おまえはけっして喪うべきではなかった・・・。
 




