この娘(こ)とあの子
『正気か?話し合う余地はなかろう?』
厳蕃にしてはめずらしい。否、あきらかにおかしかった。
『なにゆえです?これまでそうしてきた。今回もそうすべきだ、ということです、義兄上』
左右に農場の柵が永遠につづいているようにも思える道っぽいところだ。人通りは皆無とはいえ、そこに六十頭以上の馬と二台の馬車が道を完全に塞いでいる。すこし先に柵が途切れ開けた場所があったのでそこまで移動した。全員が下馬し、土方とその義理の兄を囲んだ。
少女は厳周に縋りついたまま離れようとせず、厳周もまた困惑した表情で少女に寄り添っていた。
『これから起こるであろうことに、なんの関係もない少女を巻き込み、身を危険に晒すつもりか?』
『わかっています。ですが、かのじょは、かのじょには頼れる者がいない。心の拠りどころがないのです』
『馬鹿なことを申すなっ!』感情的になってから、厳蕃ははっとしたようだ。
『すまぬ・・・。だが、現実をみよ、ひとときの情にほだされ、一人の人間の人生を奪うかもしれぬのだ。否、生命を、だ』
『だとしたら、ジムはどうしてです、師匠?われわれはかれの人生、生命を奪うことになるかもしれない。それは同じでしょう?かれがよくてなにゆえかのじょがだめなのか、おれにはわかりませぬ』
藤堂が叫んだ。正論だ。幾人かが無言で頷いた。
『ジムは・・・』厳蕃は南部からやってきた黒い肌の巨躯の漢をみた。『根本的に違う。かれは人種が違う、白人から阻害され、亜米利加にいるべき場所、帰る場所がない。だが、この娘は違う。白人だ、身内がいているべき場所、帰るところがある』
全員がジムを、ついで少女をみた。
それも正論だ。だが、心情はどうか・・・。
土方は静かな口調でそれを指摘した。
『人間は強い。いまは傷つき、怯え、悲観しているだろう。だが、周囲にいる身内たちがかならずやそれを癒してくれるはずだ。いかに時間がかかろうとも・・・』
『あなたの甥は?あなたの甥は・・・』
土方の穏やかなまでの言。その言が土方の義理の兄を容赦なく斬りつけたのだ。
『この話に辰巳は関係ないっ』それは、激昂といってもいいすぎではなかった。
『いや・・・。そうだな、辰巳には寄り添い、癒せるはずの身内がいた。が、その身内があの子を見捨てた。ゆえにあの子は死ぬまで苦しんだ』
それだけではない。苦しみ、に関しては生まれかわったいまもだ。
『それをこの娘にみているのか?この娘を辰巳にみたて、哀れもうと?』
厳蕃には、当事者であるこの娘も甥のあの子もみる余裕も思いやる配慮も失われていた。
この娘は厳周がその華奢な体躯を抱きしめてやり、辰巳は島田がさりげなく抱き上げると分厚い胸板に掻き抱いた。
『ええ、そうです。だとすれば義兄上、あなたはどうなのです?あなたもまたあいつを思いだすのではないのですか?』
冷え切った土方の刃。
しんと静まり返った野原に、どこからかのんびりした牛の鳴き声が漂ってきた。