こっそりと・・・
とんだ驚きの事件はあったものの、農場主をはじめとしたそこの人たちは、一行の去り際にも物資を提供してくれ、別れも惜しんでくれた。
ケイトはまだ人間に馴染んでいない。ずっと小屋のなかに閉じ込められていたからだ。
農場の人たちが見送りにきてくれたが、そのなかにケイトの姿はなかった。
厳周は気がかりだった。あのときは、自身の父親と従兄の壮絶ともいえる様子に、最後まで付き添ってやることができなかった。しかも、その後の叔父や仲間たちへのごまかしに奔走し、それから叔母も含めた三人の間になにがあったかを考えるのに気をとられ、ケイトとは結局、会わずじまいであった。そうして農場を去ることになったのだ。
(ケイト・・・)しばしの間とはいえ、悲惨で過酷な運命を強いられた少女と過ごしたひとときは、厳周にとってもある意味重要だった。死んだ従兄とかさなってしまったからだ。とはいえ、その死んだ従兄がかのじょを助けたのだ。
どういう気持ちなのだろう・・・。ケイト、そして辰巳・・・。
大雪の鞍上で、厳周は二人に思いをはせていた。その為、その思い人の片方が気配を消し、四十を寄せてきたことにまったく気がつかなかった。
「兄上っ、兄上っ」すぐ背後から耳朶に囁かれ、そこでやっと驚いたというていたらくだ。
「驚いたぞ、坊?」厳周は、自身の背後に飛び移ってきている従弟に囁き返した。大雪は厳周の無言の意に添い、歩む速度を落として一行より遅れた位置についた。無論、いまは鞍上にだれもいただかぬ四十も同様に歩調を落としている。
「馬車の荷台から感じられませぬか?」「なんだって?くそ、考え事をしていて気がつかなかった・・・」厳周は前方の馬車をみつめた。
「あなたからわたしの父上に報告するように、と伯父上が。わたしたちは、このことについてはあまり触れたくありませぬので」
つづいて囁かれた内容に、厳周はすべてを察した。
先夜のことは、だれもが不可思議に思っている。それはそうだろう。厳蕃と坊が手首を切った理由も状況もよくわからぬのだ。失血で蒼白になった当人たちと叔母。しかも当人たちは暗示をかけあっていて重要なことは思いだせない。それをまた蒸し返すことになる。
厳周自身の叔父である土方の苦悩ははかりしれぬだろう。自身と同様に。だからこそ、厳周はよくわかるのだ。
「承知した。それにしてもとんだことを・・・。いったいどうしたというのか・・・」
歯噛みする厳周の後ろで、その従弟が短い笑声を上げた。
「まさか兄上、わからぬのですか?」「なに?わたしがなにをわかっていないと?」厳周はめずらしく気色ばんだ。従兄はともかく、従弟のことは溺愛している。その従弟が死ぬところだった。実際のところは、従弟でも従兄でも同じなのだが、兎に角、じつに複雑な状況の従兄弟のことも重なって、厳周は心穏やかでいられないのだ。しかも、そこにまた問題ができた。かっかするのも無理はない。
『愛しき子らよ、はようせい。一刻もはやく帰さねば、われらは人攫いになってしまうぞ』
その思念で厳周ははっとした。いつの間にか白き巨狼が大雪の足許に寄ってきていた。そして、従弟の小さな姿は四十の鞍上に移っていた。
『わたしもゆこう、愛しき子よ』「えぇお願いします、愛しき父」
厳周が苦笑しながらいったと同時に大雪が速度を上げ、一行の先頭集団を追いかけだした。




