殺戮
柳生の剣士にとってこの状況を把握するのに言葉による説明など必要ない。
なぜなら、小型船で戻る途中にそれを感じていたからだ。
息子の慟哭を・・・。
海賊にとってこのカリブ海の現在の情勢はけっして楽観視できるものではない。いわゆるなかば政府公認の時期の活動とは違い、排除と抑制の支配下にあるからだ。いまだこのカリブ海で生き残れている海賊は、よほどしたたかか幸運なのだ。そして、キャプテン・バロンはその両方だった。
策は二重三重と準備している。今回はそれが功を奏したかに思えた。参謀格のトムとは別に、別働隊を配して別の方角から向かわせたのだ。
その連中は、乗り込んできた参謀トム率いる本隊を片付け、警戒と安堵が入れ替わったばかりの獲物に襲い掛かった。そして、彼ら自身の船長たるキャプテン・バロンがこの「The lucky money(幸運の金)」号に招かれときには、別働隊のほとんどがたった一人の剣士と年端もゆかない二名の狙撃手によって斬殺か射殺されていたのだった。
そう、キャプテン・バロンの狡知の策は、戦術的には失敗に終わったが戦略的にはある意味成功したのだ。
敵に「初めての人殺」をさせる、という・・・。
「わたしがついていながら申し訳ありません」捕らえた連中も油断ならない。小型船から縄梯子を使って上がってきた土方とその義兄に詫びたのは島田だ。大きな相貌にある小さな双眸は縄で縛られている連中を捉えてはなさない。
「The lucky money(幸運の金)」号の乗組員たちが総出で侵入者たちを見張っている。
強烈な血臭、そして死臭が鼻腔をくすぐる。否、実際のところはこの広い空間にあってはありえず、感覚的なものだ。
土方の眉間に数本の皺が濃く刻まれた。その視線の先には抜き身を左の掌に下げて佇む義理の甥とそれをなだめる伊庭が、そしてそこから視線を右奥へ移すと、そこでも山崎と市村が田村と玉置をなだめていた。二人とも泣きじゃくっている。
床の上には九体の人間だったものの体躯が転がっている。みえうるかぎり、二体は青い空を眺めるようにこと切れており、眉間、そして心の臓にそれぞれ小さな穴が開いているのがみてとれた。残る七体はその場にくず折れるように倒れており、日本刀で斬られていながらそのどの体躯にもみえ得る限りどこにも血はなかった。血溜りに突っ伏しているのが普通だ。
柳生の若き剣士は活人剣の技を用いたのかと思ったが、抜き身をいまだ掌にしている。ただ、得物を使って斬殺したのなら刀身には血と脂とがこびり付き、その数のことを思えば大量のそれらが刀身から柄に伝い、すぐに手入れをしなければ茎まで染み込んで腐ってしまう。それほどの数を斬っているのだ。
ほとんど出血させずに斬るという手練。それはたしかにこの若き剣士の父親や従兄の暗殺技。義理の甥はやはり柳生の一流の剣士なのだ。それをあらためて思い知らされる。
その父親がしゃがんで一体一体を検めている。最後の一体が終わったとき、ゆっくりと立ち上がった。それから息子に近寄るとその左掌に下げている抜き身をの刃を握った。瞬きする間瞑目していたが瞼を開けるとこちらをみた。視線が絡み合う。剣と対話し、なにがあったのかを理解したのだ。
ぞっとするほどのなにかが他者を斬殺したばかりの若者のその父の双眸の奥で揺らめいていた。
こちらの心中はよんでいるはずだ。が、こちらはよめない。視線が絡み合ったのは実際はほんのわずかな時間だったのだろう。
「副長、ここが京であったら、まだ新撰組であったら、命令違反は粛清か?それとも切腹させてくれるのか?」
問う内容のわりには穏やかな声音だ。
「ここは京ではないし新撰組でもありません。なにより、おれは「殺すな」ということを命じてはいません」
できるだけ落ち着いた声音になるよう努めた。血臭と死臭・・・。あのときの光景が鮮明に甦り、不覚にも軽い眩暈を覚える。おれもまた蝦夷での経験で精神を病んでいるのだ。
「すまぬ。あの子らにも要らぬ重荷を背負わせてしまった・・・。副長、けじめだけはつけさせてもらえないだろうか?」
けっして逸らされぬ視線。その心中を忖度できぬのがなによりもどかしい。
無言で頷くとやはり同じように無言で頷き返された。なにをするつもりなのか?あらゆる予測を立てる。そのほとんどが、親が子にするであろうなんらかの躾か、あるいは師が弟子に行う教えの類に対してだ。
息子の方はうなだれたまま父と視線を合わせることはない。その隣で伊庭が懸命に話しかけている。生まれて初めて人を殺した者にかけるべきあらゆる言葉を並べ、繰り返している。おそらくは伊庭自身が同様の状況でやはり同様の状態に陥った際に与えられた言なのだろう。そして、初めて人間を射殺した田村と玉置もまたそれは同じで、山崎と市村が必死に声を掛けている。二人もまた相貌を俯けたまま上げようとしない。
「人殺を業とする者の末路がどうなるか?」不意に厳蕃が大声を上げた。ただ声音が大きいだけで、そこからは何も感じられない。怒り、悲しみ、苛立ち、なにも・・・。
「副長、おぬしの懐刀が、新撰組だけでなく様々な国や場所であらゆる人殺をしてきた暗殺者がどうなったか、いまここでみなに教えてやってくれ・・・」
それは無慈悲、そして残酷な依頼だ。なぜなら、あのときの詳しいことを仲間の誰一人として語っていなかったからだ。その暗殺者の末路・・・。いまさら語ったところでいたずらに悲しみと悔しさを再燃させるだけだから・・・。
「おぬしがいわぬのなら、あるいはいえぬのなら代わりにわたしが語ろう。この「千子」がわたしに語ってくれたから、わたしでも詳しくそのときのことを話せるぞ」
左腰の得物を四本しかない掌でぽんぽんと叩く。
そうだ、海賊船で「村雨」と交換したままだったのだ。
それはそうだ。「千子」は大いに語ってくれるだろう。なにせ当事者なのだ。
土方はしばし瞑目した。この凄惨な船上で、この機で語るべきことなのか?いいや、きっといまがそのときなのだろう。厳蕃が、義兄がそういうのだ。その想いは到底忖度できぬが、考えあってのことなのだ。そしてなにより、自身がそれについて語ることを避けてきた。なんやかんやと理由やいい訳を並べ立てては忌避していたに過ぎない。そして、仲間たちも語らせなかった。自身に気を遣い、あえて尋ねてこない。とくに試衛館時代からの仲間たち、すなわちあいつの兄貴分たちは知りたくてたまらないはずだ。だが、それを尋ねることができぬままでいるのだ。そしてそれに甘えているのが自分自身。信江やあいつの母親には話せた。なぜなら、彼女らは女性だから。漢ではなく、仲間でもなかったから。
「いいえ、その必要はありませぬ。おれが話します。おれが話さねばならぬことです」
義兄が義弟に頷いてみせる。そして、義弟もまた義兄に頷いた。
いつかは話さねばならなかったことだ。それがきっとこの機なのだ。敵味方、ここにはたくさん聴衆はいるが、言葉がわかる者、話しの内容を理解できる者はすくない。
そう、いつかは話さねばならなかったのだ・・・。
覚悟を決めると重かった精神も口唇もわずかに軽くなったか?
「全員、きいてくれ」
そう切り出すと、空から肩に朱雀が舞い降りてきた。そういえば、あいつの翼ある友人の大鷹はあの場にいなかったことを思い出した。おれを呼びにきた後、島田をはじめとした仲間たちが戦っている弁天台場の方へと飛び去ったはずだ。あいつがそうするよう命じたのだ。
足許では狼神がいまだおれの子を、育て子をその大きな口に銜えたままおれを見上げていた。獣神の双眸もまた深くて濃い。狼神もまたともにいて、拾って育てたあいつの最期をみている。それを許されているのが獣の王だけだからだ。
『語ってやれ・・・。あの子の最期を、あの子を知る者たちに教えてやるのだ』思念がおれの背を押してくれる。
おれはあいつの育ての親にも頷いてみせた。おれの子もおれを見上げている。その双眸もまた深くて濃い。左眼の視力はないがまるでそうとは感じさせない。金色の眼になるのはうちなるものがでようと、依代の意識にとって代わろうとするときらしい。ゆえにふだんは黒い。だが、依代自身の体調や精神の状態によっては左右の瞳に違和感を生じることもある。もっとも、それも滅多とないのだ。
おれの子ですらいまは笑ってはいない。空気の流れが、大人たちの発する気が、赤子からそれを奪っているのか?眉間の皺を消す努力をしつつ、腕を伸ばしてわが子の頭をやさしく撫でた。あいつと違いわが子は温かい。頭上の太陽のせいかもしれぬが、それでもほっとする。わが子は自身の力で生きている。そう、生かされているわけではない。
「あー、あー」なにか喋っている。なにがいいたいのか理解できぬ父を許せ。わずかになごんだ。わが子からも背を押してもらったような気になる。
おれは語りはじめた。




