機微、そして信頼
白き狼の苛苛は、募りすぎて爆発寸前であった。どれだけなかに入り、二人をどやしつけたいか。四肢で抑えつけ、涎だらけにしてやりたいか・・・。
丸太小屋の扉の前で、いったりきたりを繰り返していた。まるで檻に閉じ込められた野生の狼のように。いったりきたりしながらさまざまなことを考えていた。
やはり転生させたのはまずかった、と思わざるをえない。育て子はあのまま地獄に送るべきであった。息子である蒼き龍も白き虎の依代である厳蕃がさして遠くない将来に自身で頸を跳ね飛ばすであろうことは確信していただろう。不老、などというものに縋るほど厳蕃は生に執着しないだろうから。それどころか、甥が死んだと知り、その首級の始末をつけしだい、即座に跳ね飛ばしたやもしれぬ。
あの二人は似すぎている。あまりにも似すぎている。その容貌も根本的な性質も・・・。そこまで考え白き狼は脚を止め、狼らしくない溜息をついた。あらゆることに面倒臭くなり、獣を依代とするようになって数百年。人間を依代としたほうがよかった、と思ったことは一度たりともなかった。前回の息子らの降臨のときも交わりはいっさいなかった。妻がうろついていたし、本土はおおきな戦があって人間の淘汰にことかかなかったからだ。
だが、此度ばかりは様子が違った。厳蕃ではないが性悪の妻が送り込んできた。夫を引き摺りだし、大々的に淘汰を行わせようとでもいうかのように。
そしてまんまとそれにのせられてしまった。
息子らは兎も角、その依代らが気の毒でならない。此度ほど人間であったらよかったのに、と幾度歯噛みしたことか・・・。
存在そのものが複雑な育て子に翻弄される叔父・・・。いや、本来、依代同士の関係は親と子、だ。この法則はけっして違えぬ。それが妻の遣り方だ。そして、自身にいくつもの種子を仕込ませた。
気持ち悪い、たとえまた傍に寄り添うことになろうとも、二度と閨をともにしてやるものか・・・。
白き狼は大きな頭を右に左に振った。ふと、厳蕃が尋ねてきたことを思いだした。
人間の機微はわかるか?
あのときにはわかるものか、と答えた。だが、それは嘘だ。神には、否、ともに過ごし、息子らの依代である二人とその家族や仲間たちのことはとくによくわかるのだ。わかりすぎているがゆえに、禁忌を犯してまでも転生させたのだ。
転生は人間や動物、自然界の摂理に反しているばかりか、神のなかにあっても忌避されるべきもの。
それをあえてやったのだ。性悪の妻とともに。ひとえに育てた子が大切だったから。また育てたかったから・・・。今度は泣いて笑ってただ毎日野山を駆けまわりたかったから・・・。それだけではない、その育ての子が唯一愛した人間の悲しみの深さ、無限の苦しみ、これらを目の当たりにし、死んだあの子がそれを知ればさぞ悲しむだろう、と思ったから・・・。
神も年ふるものではない。たかだか人間の子に、依代ごときにここまで翻弄されるとは。その叔父と同じ、ということだ。
厳蕃・・・。喧嘩ばかりだが、この依代のことも認めたくはないが好きなのかもしれぬ。すくなくとも育て子と同様気にかかって仕方がない。
さらにはその家族や仲間たち。人間もたまにはいいな、と思いはじめていたところだ。それがどうだ?
おおきな白い二つの耳朶がぴくぴくと動いた。そちらに体躯ごと向けると、ようやく暗闇から現れた。
まずは依代たちと同じ血をもつ人間であった。




