暗示
「わたしを縊り殺すといい」
こめかみの痛みがやっとひいた。暗示がとけたのだ。同時に、かけられたそもそもの内容について受け入れねばならなかった。それは、もはや人間としての域ではない。人間としての禁忌を犯したがゆえに、封じ込められていたのだ。
こめかみの痛みは、甥がかけたであろうものだけではなかった。もう何十年も前にかけられたものだった。
泣きたくなった。実際、泪が流れ、それをとどめることができなかった。俊章や師のことを非難する資格は皆無だ。それどころか、いまや二人の倍以上の罪を犯していた。
母子ともどもに陵辱したのだ・・・。母子ともどもに、だ。
厳密にいえば、母親のほうはたくみに操られてのことだ。神を降ろすのに一つの血、つまり帝の種子だけではたりなかったのか、あるいは依代の種子も必要だったのか・・・。封じられた記憶は、人間同士が行うような交わり、というよりかは種子を搾り取られた、という感じだった。それでも、交わりにはかわりないのだろう。性に目覚めるどころか、柳生の道場に通う兄弟子たちから、自慰について教えられ、気恥ずかしい思いをした位の年齢だった。
姉は、女神の依代でもある巫女は性悪だ。記憶を奪ったばかりか、巫女の生んだ子を愛するようにと暗示をかけた。そして、その子と交わるようにとも。なにがきっかけだったのかはわからない。暗示が解けなければ、きっとこの子を、甥のすべてを完全に破壊してしまっただろう。
あるいは、甥自身の力によって解かれたのかもしれぬ・・・。
「答えになっていませぬ」馬乗りになったまま甥が叫んでいた。「柳生の大太刀」のときのように泣きじゃくりながら。またしても精神に傷を負った。わたしが負わせたのだ。人間の愛を知らぬ哀れな子。孤独と破壊のなかで苦しむ子・・・。
義弟と妹の子でありながら、その瞳は姉と同じもの。そこに姉がいる。愛する姉が・・・。そもそも家族を、実の姉を愛してしまった、ということじたい操られてのことだったのか?わからない、なにが真実なのか・・・。この子の真の父親と同じように・・・。
「それを知ってどうなる?」
静かに尋ね返すと、頬を包む小さな掌がぴくりと反応した。
「それを受け止められるのか、辰巳?たとえ帝の子であってもけっして口外できぬことだ。それに、会うことも叶わぬ。すでにこの世におられぬのだから。だれの子であっても、おまえはだれにも認められぬのだ。辰巳であるかぎり、おまえは非嫡出子だ。父なし子だ」
「あなたは、わたしのなかになにをみたのです、叔父上?」つぎは甥が問われたことに答えなかった。
「わたしと、否、わたしのなかにいる者とされたいのでしょう?するといい。存分にされよ。十歳になり、わたしがわたしとして完全に戻ったとき、わたしはあなたに抱かれましょう。たとえあなたが真の父であろうと、わたしは、わたしは・・・」
単調な声音が、二人の血にまみれたわたしの耳朶に心地よく響く。まずい・・・。わたしは精一杯意識を集中し、それに抗った。
「叔父上、やはりわたしは転生すべきではなかった。わたしは大人へ復讐したい。それが神々の意志でもあるのですから。わたしは、わたしを傷つけた大人を殺します。いいや、人間を・・・。わたしは、わたしはただ、主や身内や仲間に「いい子だ」と頭を撫でてもらいたいだけだった。辰巳でも勇景でもなく、主のみせかけの甥っ子佐藤龍として、新撰組の坊として、みなと一緒に過ごしたかっただけなのです・・・」
訴えてくるその苦しげな声音に、わたしは立ち向かう気力を失ってしまった。
最後に思ったのは、やはり性悪の母子だ、ということだった。




