大精霊(ワカンタンカ)と呪術師(シャーマン)
『わかった、わかった。降参だ』異国の小人に頸を取られて宙吊りにされたまま、この船のキャプテンが叫んだ。引き際はじつに早い。なぜなら、キャプテン・バロンにはまだ計略があるからだ。 刹那、そうと読んだ異国人の眉間にわずかに皺が刻まれ、そのまま伸ばす腕を床に打ちつける。自然、キャプテンの長身も床板に叩きつけられた、
『 準備に怠りなしか?』小振りの相貌を敵の首魁に近づけて独逸語で囁く。『ともにきて頂こうか?』
人質代わりだ。首魁を立たせているところで『同胞、呪術師だ』心に直接呼びかけてくるのは同じ白き体毛を持つ巨狼だ。その大きな口に銜えられた甥は、この喧騒と不穏な空気のうちにあっても笑顔で小さな小さな掌を打ち合わせている。小さな双眸が伯父のそれと合う。ともに金色の隻眼をもつ者同士。ただ、赤子の方の金色の眼に視力はなく、大人の方のそれには視力があるのが違いか?
視線を甥から近寄ってくる二人の漢に移す。素肌に獣の革のベストやズボン、そして羽飾りのついたバンダナや帽子など、あきらかに欧州人ではなく、亜米利加に昔から住まう民であることがみてとれる。
日の本からやってきた二人と一頭に奇妙な緊張感が生じる。「あー、あー」赤子の声音も心なしかいつもと違うようだ。
「義兄上上?」土方と野村が近寄ってきた。厳蕃は野村にこの船のキャプテンを引き渡しながら野村に囁く。「大丈夫なようだな、利三郎よ?」多くはいらない。すでに厳蕃は野村の心情の変化がわかっている。力強く頷く野村。野村もまた同様だ。
「歳、すぐに戻るぞ。あちらがまずい・・・」次は義弟へと囁いている途中で白き巨獣が唸った。「あー、あー」赤子も警戒の叫びを上げている。
「片付いたが、どうする?」
敵をあらかた気絶ばした仲間たちも近寄ってくる。開放した異国人が近寄ってきているのをみて仲間たちの間にも緊張が走る。
「新八、全員をふん縛ってくれ。おれたちと一緒にきてくれた「The lucky money(幸運の金)」号の友人たちに見張りを任そう。この親玉は連れてゆく。どうやらこの連中にはまだ他に策があるらしい」
「承知・・・」新八は了承の意を示してから近寄ってくる異国人に注意した。英語にきりかえて。『何用か?あなたたちはもう自由だ・・・』
「新八、大丈夫だ。みなも急ぎのびてる連中を縄で縛ってくれ。すぐに戻るぞ」
師匠から緊迫感を察知し、すぐに指示通りに動く。
永倉たちが開放した異国人。礼を述べるだけのわりには微妙な雰囲気を醸しだしている。
『亜米利加の呪術師だな?』
語気鋭く問うた義兄のシャーマンという意味がわからない。それでも土方は近寄ってきた奇妙な格好の二人連れをただの異国人だとは思わなかった。なにか異種の、そう、この二人から蝦夷のアイヌの村で知り合った長老と同じような威厳と神秘を思い起こさせ、感じさせてくれた。
二人は助けてくれた恩人の前までくると立ち止まって恩人を見下ろした。二人とも背が高く、小柄な厳蕃などは完全に見下ろされている。陽に焼け、彫りの深い相貌。だが、表情はさほど豊かそうではない。これまでみた異国人とは違い、どちらかといえば自身らに近い顔立ちだ。
しばし沈黙のままで睨み合いがつづけられたが、どうやら異国人たちは厳蕃、白き狼、そしてそれが銜える赤子に用があるらしかった。
不意に背の高い方の漢が彫りの深い表情に精一杯の笑顔を浮かべた。
『やはり大精霊だ。野生猫に狼そして龍・・・』
それから歓喜の声を上げた。その声音は、外見では想像できぬほど美しい。
白き狼が笑った。
『猫ちゃん、猫ちゃん、よしよし、可愛らしい猫ちゃん』さもおかしそうに心中で何度も呼び掛ける。
『おいおい、亜米利加に虎はいないから仕方なかろう。もっとも、うちなるものもそれならば扱いやすいだろうがな』猫ちゃんは苦笑を禁じえない。
『わたしはイスカ、夜明け前という意味で、こちらは親友のワパシャ、紅葉という意味です。スー族の戦士です。大精霊、助けて頂いて感謝します。ええ、あなた方が助けて下さるのを待っていました』
流暢な英語だ。欧州から移り住んだ異国人たちの言葉をこれほどまでに扱えるとは持って生まれた才能か、あるいは努力の賜物か。
『大精霊、どうかわれわれも連れて行ってください』小柄なほうのスー族の戦士もまた英語がうまい。
『大精霊?どうやら勘違いしているようだ。われらは妖、遠き小国に巣喰う悪しき妖怪だ』小振りの相貌にふわりとした笑みを浮かべて返し、その妖怪は土方に打診した。
「亜米利加の民だ。一人は呪術師のようだ。一緒にいきたいといっているが?」「陸を行くにはいい道案内だ。ですが、あなた方は大丈夫なのですか?」力の一部を継いでいるだけでもこの呪術師とやらから感じるものは執拗に気を騒がせる。ましてやうちなるものをその身に宿す義兄やわが子は・・・。
「わたしのことを子猫というくらいだ」『子猫とはいってはおらんだろうが、拗ねおって。まだまだ青いの、人間よ』即座に突っ込む白き狼の頭を撫でる掌に力をこめながら、つづける。「兎に角、おぬしのいうとおり道案内は必要だ。まあ、なんとかなるだろう。それよりもあちらが心配だ」
「承知・・・」土方は義兄に一つ頷いて了承した。それからスー族の戦士と名乗った若者たちに向き直り、英語に切り替えていった。『自己紹介は後程。一緒にきてくれ、歓迎する』
「The lucky money(幸運の金)」号の乗組員を数名見張りに残し、土方たちは急ぎ母船へと取って返した。
 




