救いの手
その年齢の子と比較しても華奢であろう肩に掌を伸ばしかけ刹那の間躊躇った。自身のなけなしの平常心、そしてそれの心情を慮ってのことだ。肩越しにそれがなにかを握っているのがわかった。血まみれになった右の掌に握られたものが、先ほどごみ箱に捨てた壜の欠片の一つであることを直感した。そして、なにも握らぬ掌の方は手首がざっくりと裂けているのが小さな納戸に射し込む一筋の月光によってみてとれた。
自傷行為・・・。自身の左手首を切ったのだ。
ぞっとした。厳蕃は自身のことを棚に上げ、その異常なまでの行為に狂気を覚えずにはいられなかった。
はやく、一刻もはやく血を止めねば・・・。という焦燥がある一方で、望みどおりこのまま果てさせてやりたい、という想いもわずかにあった。
これはもう異常すら通り越している。完全に壊れてしまっている。厳蕃の脳裏に日の本で土方と自身の妹と生む生まないの論議をかわしたことが過ぎった。
なにゆえ許してしまったのか・・・。なにゆえ止めなかったのか・・・。二人の気持ちや望みなどどうでもよかったのだ。力づくでもやめさせるべきであった。
こんなものはしょせん神の悪戯、暇潰しにすぎぬ。そもそも転生などということじたいあってはならないことなのだ。すくなくとも辰巳が辰巳としてふたたびこの世に現れるべきではなかったのだ。せめて辰巳が勇景として、前世の記憶も力も神も背負わぬただの人間の子としてならよかったのだ。辰巳が辰巳のままだから、イエスのごとく復活したにすぎないのだから、それが元凶なのだ。
辰巳は、辰巳は死ぬべき存在なのだ。地獄に落ち、そこで劫火に焼かれるべきだったのだ・・・。
無理矢理現世に引き摺り戻され、またしても苦しみつづけねばならない。それとも、現世こそが辰巳にとっての地獄なのか?現世こそが辰巳が落とされるべき場所なのか?現世で劫火に焼かれるべきなのか。そして、それを目の当たりにすることこそが、厳蕃自身に与えられた劫火なのか・・・。
だとすればここで果てさせたとしてもまた引き摺りだされるだけだ。神によって。巫女によって。
救う手立ては、辰巳を地獄から開放してやる手立てはないのか・・・。愛する姉の子を、愛する甥をらくにしてやることはできぬのか・・・。厳蕃自身でなくてもいい。土方でも妹でも、あるいはほかの身内で仲間でも、神でもなんでもいい、愛する甥を救ってくれるのなら、なんでもするし縋ろう。
小さな体躯、辰巳であった時分よりさらに小さい体躯・・・。あらゆる想い。それにかかる重圧に厳蕃は眩暈がした。こめかみの痛みなどとは程遠いなんともいえぬ違和感に襲われた。
両の掌をゆっくりと伸ばした。小刻みに震えている。いまやこめかみだけでなく下腹部にも違和感を覚えていた。理性を繋ぎ止めねば・・・。血を止めねばという焦燥とは別種の焦燥がいまやとってかわっていた。
九本の指先が小さな肩に触れたとき、小さな体躯がびくんと跳ねた。
雄の気を感じ取ったのだ。
叔父の情欲に怯えたのである。