流血
気配は断った。相手もそれを断っている。
だが、独特の感覚まで完全に断ち切ることは不可能だ。なぜなら、それは剣士やらうちなるものや護り神やらとは異種のもの、体内に流れる血が同じだからこそ、感じられる感覚だからだ。
納戸らしき小さな扉があった。台所の横にあるそれは、通常は食料品の貯蔵に使用されるのだろう。
灯火のない暗い台所を伺うと、食べ物が腐った臭いがまともに鼻梁を覆った。むせ返りそうになるのをかろうじて耐えた。流しの上に窓があり、そこから月光が射し込んでいた。台所の奥に開いたままの扉があった。遠くに柵と木々がみえる。どうやら裏口のようだ。
小さな扉の前に立った。なにやらわからぬ物体で溢れ返ったごみ箱があったので、掌中の壜をそこに置いた。が、それは平衡を崩し、すぐに廊下の木の床の上に小さな音を立てて落下した。
小さな扉のすぐ横の大人の目線の位置に釘がささっていて、そこに先ほどの漢のものらしいシャツがかかっていた。暗い廊下にあっても夜目はきく。それがさまざまな汚れと臭いをつけたものであることがはっきりとみてとれた。自身の傷だらけの体躯をみ下ろした。夜間に肌寒いなか、不法侵入し、暗い廊下に上半身真っ裸で佇む図は、自身でずいぶんと間抜けに感じられた。選択肢はない。あまりの異臭に、筋のとおった鼻梁を歪めつつ、そのシャツを釘から引っ掴んで上半身を覆った。
そこであらためて小さな扉をみつめた。もう時間を稼ぐのも限界だ。意を決し、ついに掌を伸ばして把手を掴んだ。そして、できるだけゆっくりそれを開けた。
その小部屋にも小さな明かり取りがあった。そこから月光が筋となって射し込んでいる。金臭さが鼻梁をついた。強烈な金臭さに、さきほどの異臭とは違って嘔吐そうになった。
それはなにも臭いに対してではない。それをもたらせる要因に対して、吐きそうになったのだ。
そのとき、一筋の光のなかにそれを認めた。そして、そこから流れでたのであろう大量の血も。血は木製の床大半を蹂躙していた。それのみならず小部屋の入り口に突っ立っている自身の乗馬靴の先をも舐めようとしていた。
なんともいえぬ気持ちだ。どう思えばいいのか、どう受け止めればいいのか、なにもかもがわからないでいた。それは床の上で両の掌をつき前屈みでぐったりしていた。床についた掌は血溜まりに浸かっている。
厳蕃が感じているのと同じように、それも厳蕃がここにき、いままさにここに佇みみ下ろしていることはわかっているはずだ。
いつものように「馬鹿な子だ。性悪の甥だ」というには精神が乱れすぎていた。動揺どころかこれまで意識下に押し込め封印していたものをそこに抑えこんでおくことができそうになかった。
気がつけば血溜りのなか、それの背後で膝を折っていた。
もはや自身の箍が外れるに任せるしかなかった。




