目撃・・・
小屋の玄関部分は異臭に満たされていた。だが、そのほとんどが汚物や食べ物の腐った臭気で、金臭い、つまり血臭はほとんどなかった。
すくなくともこのあたりで直近に大量に血が流れたようなものは感じられなかった。
だが、まだわからない。なぜなら、辰巳の殺し方のほとんどは、斬り殺したり刺し、あるいは突き殺したすという刃によるものや、銃の類による撃ち殺す、というものではないからだ。
辰巳は武器の類を神格化している。その異常なまでの信仰心は、他者を殺めるという行為でそれを穢すことはない。そして、それは殺める相手に対しても同じことがいえる。殺める相手に対して敬意を表し、殺人という行為そのものをまるで神事のごとく行う。
たいていがみずからの掌でもって、そうとはわからぬ刹那以下の間にあの世に送ってやる、というのが辰巳の遣り方なのだ。
扼殺・・・。あんな小さな掌が、いかなる太さの頸であろうと一瞬にして頚椎を絶ってしまう。それは驚きを超え、もはや神懸り的な業だ。
掌だけではない。体躯のすみずみまでこれすべて武器なのだ。
日の本、清国や露西亜、欧州、印度などの西方地域にさらに西方の阿弗利加など、小さな暗殺者はその体躯でもって力と業を知らしめてきた。
そして、これからはここ亜米利加がそれに脅かされることとなる。
四神は、真にこの国に騒擾を与えようとしているのか?もしかすると、神などは関係なく小さな暗殺者の業によるものではないのか・・・。
そんな馬鹿な考えが脳裏を横切ったとき、自身で自身を嘲笑した。
自身のうちにいるものの所為にするほうが、よほど合理的で気がらくだ。そう考え直した。
そう思うとすこしは一歩を踏みだす勇気がでる。そのまま歩を進めた。
廊下に一筋の光が射し込んでいた。扉がすこし開いている。そこからすすり泣く声が漏れてくる。どうやら少女のものであるらしい。
さきほどまで感じていたものは、いまではさほど感じられなくなっていた。
その扉に近づくと、視力のある方の瞳でそっと覗いた。
素っ裸の漢が床に倒れ伏しているのが最初に瞳に飛び込んできた。すばやく室内をあらためた。寝台の上に、裸体の少女が・・・。
状況を瞬時に察した。そして、これまでの感じ、の正体がわかったような気がした。
音もなく室内に入った。
それに気がついた少女が怯えた悲鳴を上げた。少女は、両の腕で自身を抱いてがたがたと震えだした。
少女に柔和な笑みをみせながら、片膝を折った。同時に、倒れている漢の頸の動脈に指を当てた。
生きている・・・。指はしっかりと脈を察知した。
室内をみまわしたが、敷布もなければ毛布もない。服すらない。仕方なく自身のシャツを脱ぐと少女の痩せ細った肩にかけてやった。
口唇の前に指を一本立て、そっと囁いた。
『大丈夫かね?ここに子どもがきただろう?』
やさしく問いかけると、少女は震えながらかすかに頷いた。着せ掛けられたシャツを胸元で重ね合わせつつ。
淡い蝋燭の光のなか、少女の瞳は厳蕃の傷だらけの体躯に向けられている。
『み苦しい体で申し訳ない』苦笑してしまった。他人に体躯をみせることなどほとんどない。あるとすれば女子と肌を合わせるときくらいだ。そのときですら、灯を消し、できるだけみせぬようにする。相手を怖がらせたくないからだ。
『父親かね?』気を取り直し、視線だけ床上の漢に向けて問うと、少女はまたかすかに頷いた。
やはり、と苦々しい気分に陥った。
『すぐに戻る。お父さんはしばらく眼を覚ましそうにない』
安心させるようにいい、少女がまたかすかに頷くのを確かめてから少女にふたたび微笑んだ。それからゆっくりと、少女を怖がらせないよう気をつけながら立ち上がった。そのとき、寝台の足許に壜が転がっていることに気がついた。正確には壜だったものだ。掌にとってみると、真ん中あたりで割れている。掌中にあるのはその下半分だった。わずかに酒精が漂っている。
壜は、まるで握りつぶされたかのような割れ方だ。
血痕はついていない。掌で握りつぶしたのなら、皮膚がきれて血が付着するはずだ。無論、それは普通の掌をもつ者がおこなえば、であるが。
その壜を握ったまま、厳蕃はその部屋を後にした。