人間(ひと)としての焦燥り
『どこへゆく?』
義弟をはじめとした仲間たちは呑み喰いを堪能している。厳蕃は数少ないパンやスティック状に切られた野菜をつまんでいたが、不意にそこから抜けだし足早に立ち去ろうとした。
「厠だ」
背後から白き巨狼に呼びかけられ、厳蕃はぶっきらぼうに応じた。
『厠?反対だぞ。そちらには家屋すらない』思念に嫌味が籠もっていた。厳蕃はそれを無視し、脚の動きをさらに速めた。
『待てっ!待てと申しておる。なにも告げずにゆくのか?』
「うるさいっ!ついてくるな。これは仲間たちとは関係ない。ついでに申すと、うちなるものとも関係ない。身内の問題だ」
『身内の問題だと?ああ、そうであろうよ・・・』白き巨狼は、そういってから鼻を鳴らした。
『わたしには感じられぬものをおまえだけが察知しているとなると、同じ血をもつ者の感覚であろうからな?でっ、いったいなにが起こっておる?』
厳蕃の脚は止まることはない。厳蕃は感じ取られぬよう抑える努力はしているのだろう。だが、それはうまくいっていなかった。動揺と焦燥感を白き巨狼は厳蕃から強く感じとっていた。
『いい加減にせいっ!おぬしら、だぞ?あの子だけではない。おぬしもだ、厳蕃?』
白き巨狼は癇癪を起こした。厳蕃のけっしてみせぬ動揺と焦燥感がそのまま伝染し、それが不安に結びつく。育て子のこととなると、さしもの狼神もただの子煩悩の父親に成り下がってしまうのだ。
「わからぬっ!まったくわからぬっ」
不意に脚を止めると厳蕃はくるりと振り向き、怒鳴り散らした。肩で息をしている。
厳蕃もまた想いは同じなのだ。性悪だろうが甥は甥。勇景、否、辰巳は大切な身内なのだ。
「かような気ははじめてだ。あの子から激しい憎悪、深い悲しみを感じる。嫌な予感しかせぬ。手遅れにならぬうちにどうにかせねば・・・」
狼狽する厳蕃もそうそうお目にかかれるものではない。
いつもだったらそれをせせら笑い、からかう白き巨狼も、厳蕃と辰巳、叔父甥の絆を信じている。ゆえに嘲笑などできなかった。
『どちらの方角だ』
白き巨狼は、できるだけ平静にきこえるよう努めつつ尋ねた。
厳蕃の四本しかない掌の指が、農場のはるかかなたを指差した。
『乗れ』厳蕃は意味がわからず突っ立ったままだ。
『なにをしておる。ときを争うのであろう?おまえの脚よりわたしのほうがはやい。はようせいっ』
いつもだったら形容詞やら比喩やらで装飾する白き巨狼も、厳蕃のただならぬ様子に気圧され、その余裕が失われていた。
「頼む、急いでくれ。あの子を、あの子を護ってやらねば・・・。頼む」
そして、厳蕃もまたいつもとは違った。ひらりと跨るとその大きな背に縋った。そして、ふさふさの毛に相貌を埋め、幾度も懇願した。
四つ脚が力強く地を蹴り、いかなる馬よりも速く走った。
向かうさきは、農場の奥である。




