「壬生の狼」海原に舞う!
「キャプテン、キャプテン・バロン」
乗り込んできた黄色の肌の異人どもは、小人などという弱々しい連中ではなく餓狼だった。
部下に呼ばれていることにも気がつかず、キャプテン・バロンは異装の漢の背を睨みつけていた。不意にその餓狼が振り向く。
『いいや、餓えた白き虎だよ、ご同類』凄みのある笑みは、周囲に群がる海賊どもの心胆を寒からしめた。
『一緒にするなよ、小人・・・』考えていることを読まれている。頬や背を流れ落ちる汗は、決して暑さだけによるものではない。この小人どもは、同類どころか一筋縄ではいかぬ戦士だ。さりげなく甲板を見回すと、他にも餓狼が乗り込んでいて、船倉にぶち込んでいた奴隷や売り物を助け出している。数においてもあきらかに不利になってしまった。
『・・・』
頭の中で状況を確認する間もなく、気がつくと餓えた白き虎の爪に捕らえられていた。あきらかに30ft(約9m)の距離はあり、両者の間には幾人もの部下が立ちはだかっていたはずなのに。
『案ずるな、おとなしくしてくれれば、生命まではとりやしない。みろ、周囲を。わたしの頭は慈悲深い。気絶程度ですませてくれている』
小人の右掌で頸を取られながら、この船のキャプテンはいわれるままに周囲を見回した。部下たちが必死に応戦するも、餓狼たちは細身の剣を振り回し、つぎつぎに部下をなぎ払っていく。
『畜生!』思わず口唇から零れ落ちた故国の単語に、その生命を掌握している餓えた白き虎が短い笑声をあげた。
「左之、平助、殺るなよっ」「おうっ!」「あいよっ!」
もう一隻の小型船でこの船の右舷後方より忍び込んだ元祖「三馬鹿」は、手はずどおりに甲板から船倉へと下り、わずかな見張りを当て身を喰らわして気絶させると捕えられた人々や奴隷たちを解放し、船上へと誘導していた。
海賊に捕まり、将来も希望も失われていた人々は、解き放たれても茫然自失のていだ。
元祖「三馬鹿」はそれぞれの得物もまた緊張や殺気を含んだ熱気のうちに開放した。
敵は全員が銃か拳銃を持っている。だが、こうしてまた三位一体の攻守ができる「三馬鹿」に、得物の違いなどは問題にならない。それどころか気にもならない。なぜなら、三人が揃えばいかなる敵であろうときり抜ける自信があるからだ。
此度は、武器を持たぬ人々を護ること、その上で敵を殺さぬことが絶対条件である。新撰組時代とはずいぶんと任務の内容は異なり、甘くなってはいるが、自身らとて他者を殺めたり傷つけたりすることを好き好んでやっていたわけではない。正々堂々と渡り合い、幸運にもこちらの方に分があった場合などは生かして捕えることも多々あった。
殺し合いなどではなく、全身全霊をもって単純に斬り合いたいだけだ。そして、京で活躍していたそういう連中は、敵味方ともに根っからの武人がほとんどだったのだ。そこに政治的な思惑や駆け引きなど微塵もない。ただただ剣を振るい、技と精神をぶつけ合いたかっただけなのだ。
そして現在、(いま)、「三馬鹿」はあの時分に戻っていた。ときの流れ、場所や状況の違いなどは関係ない。
「三馬鹿」は「三馬鹿」なのだ。
緊張という枷に耐え切れなくなった海賊の一人が発砲した。その銃弾を永倉が自身の「播州住手柄山氏繁」で見事両断してのけた。この愛刀は、かの「池田屋事件」の刀代で得た業物である。斎藤の目利きであるこの得物は、刀身は厚くその上鋭い。柄頭も大きくて分厚い掌ににしっくりと納まる。まるで永倉の体躯と力に合わせて鍛刀されたかのようだ。刀には一日の長がある斎藤のさすがともいえる選択だ。
原田の愛槍が音もなく振るわれ、あっという間に巨躯が三、四体同時に吹っ飛んだ。愛用の長槍は、宝蔵院流の門を叩いた時分からの相棒だ。長さ、重み、刃の厚みに鋭さ、どれをとってもこれ以上の名槍はどこにもないはずだ。右に左に打ち払えば、幾人もの人間が容易に薙ぎ払われる。「日本号」、「御手杵」、「蜻蛉切」といった「三大名槍」にけっしてひけはとらぬ。槍もその遣い手も。まさしく天下並ぶ者なき名槍遣いとして大成しつつある。ひとえに、生命があるからこその賜物だ。
藤堂の愛刀は「赤心沖光」。それは切腹した山南敬介の愛刀だ。同門の弟弟子である藤堂に遺した唯一の形見。新撰組の時代にはたとえ幹部であっても漏らすことのできなかった秘事の一つで、当時、土方がこっそり山崎にそれを託し、山崎は信のおける旧知の寺に預けていたものだ。例の「上総介兼重」ほどではないにしろ、「赤心沖三」も世に知られた業物。細身で軽く、なにより鋭さは他に類をみない。小柄な藤堂にはうってつけの得物といえるだろう。そして、なによりそれは山南の得物だった。藤堂が山南を慕い、尊敬していたのは、なにも山南が同門の兄弟子というだけの理由ではなかった。
山南の精神の宿るその得物を一閃二閃させると、その神速ともいえる抜き打ちで、一人二人と倒れてゆく。
無論、それがただの峰打ちであることはいうまでもない。
「菊一文字則宗」による「沖田の三段突き」は、まさしく京で活躍していた時代を髣髴とさせてくれる。剣と長い腕が一つになり、まるで腕そのものが一本の刃のようだ。相手との間合いを音もなく詰め、繰り出される突きは相手が相当な手練れであろうとそうやすやすとかわせるものではない。ましてや異国の海賊ごときであれば、その切っ先をみることすら叶わぬだろう。
そしていま、沖田は野村の背を護りながら「三段突き」を繰り出し、海賊を一人また一人と確実に気絶させていた。「近藤四天王」の一人「一番組組長」は、京の頃より腕は上がり、精神は安定していた。敵は即斬、そして自身の生命すらいとわない、という単純で安易なる思考は、労咳で死の淵を彷徨ったことにより改まっていた。
敵であろうと自身であろうと生命は尊い。それを学んだ。それを教えてくれた二人の漢たちはともにいない。その漢たちの為にも、生命を大切にしながら敵のそれをも尊重せねばならない。真に難しい課題だ。だが、重要である。一生かかってでも自問自答し、いつかあの世で二人の漢たちとそれについて話せればいい。
試衛館時代からの相棒ともいえる剣士をちらりとみる。喧騒と殺気のうちにあっても、相棒はその視線を受けてしっかりと応じてくれた。同じ「近藤四天王」でありながら、自身は近藤の剣として、その相棒は土方の刃として、新撰組時代には若干なりとも立ち位置が異なっていた。派閥やら敵対、という意味ではない。裏と表、陰と陽、というそもそもの立場だ。あの頃はどちらが欠けても生き残れなかっただろう。どちらかが存在しなかったら、とても京でやっていけなかっただろう。だが、いまは違う。これからは同じものをみ、感じ、ともに戦える。沖田はそれが嬉しかった。生き残ってよかった。助けてもらってよかった・・・。生きている、死んでいる仲間に、そして神に、感謝せずにはいられない・・・。
沖田ににやりと笑ってみせる。掌の「摂州住池田鬼神丸国重」も自身と同じように高揚している。柳生の剣士たちほどではないが、斎藤も得物のことがよくわかる、そして話せるような気もする。もっとも、そう思い込んでいるだけかもしれぬが。「鬼神丸国重」、皮肉にも斎藤が敬愛する二人の漢をその名に冠している業物。ずいぶんと遣い込んでいるそれは、自身にとっては魂そのものであり、体躯であり精神。仲間以外ではこれ以上のものはこの世に存在しない。そして、武士には決してありえない得物を右腰に佩く、という禁忌もいまだに健在で、この仲間たちはこれを忌み嫌ったり揶揄したりするどころか、しきりと感心し興味を示してくれるのだから逆に不可思議だ。だからこそ、その仲間たちの為ならなんでもできる。たとえ穢れ、武士にあるまじき行為であろうと。
野村の背を護り、それを立てることが今回の務め。鬼と神の名を冠した自身の得物を控えめに振るう。暗殺者であった斎藤は、自身の力や技を調節することがうまい。そして周囲の状況、自身のそれを第三者の目線で冷静に眺め、考える洞察力も充分備わっている。そして、会津戦争では意外にも多数の兵を率いて戦うこともできた。それらが斎藤をさらに成長させた。暗殺者としてではなく剣士として、そして武人として。
土方という遣い手の刃としてともに死線を潜り抜けてきたもう一振りの鋭刃。その強くやさしき刃の精神とともにこれからはあらねばならない。多くの仲間もいる。
「菊一文字」と「鬼神丸」が閃くごとに敵が甲板の床をなめることになる。野村はそれを肌で、視覚ではっきりと感じていた。三位一体の二位の足をあきらかにひっぱっていると自覚も添えて。だが、これほど力が漲り、心強いことはない。これまでの恐怖心が嘘のようだ。自身の得物「江府住興友」は、まだ故国にいた時分に原田から譲ってもらった業物だ。槍遣いには過ぎたるもの、といい、酒代程度で譲ってくれたのである。無論、酒代というのは野村の為の方便だ。兎に角、意外と遣い込まれたその業物もまた、野村に力を与えてくれる。反身で分厚い刃は、自身の好み。右に左になで斬りにし、相手を確実に峰打ちにする。背後はまったく気にならない。斎藤と沖田という最高の剣士たちが護ってくれているのだ。そして、相棒の相馬もまた、銃で援護してくれている。
迷いはない。おれは仲間の為に、おれ自身の為に戦ってゆける。そして、多くの背を護り、護ってもらうのだ。




