鬼と神の御業
牧場主はマットという気のいい漢であった。
死んだ父親が馬一頭牛二頭で牧場をはじめ、この辺りでも有数の大牧場にまで築き上げた。
マットは、みず知らずの旅人を快く迎えてくれた。しかもその大半が、というよりかは二名を除いて亜米利加の白人にとっては異種ばかりだというのに、だ。
マットの牧場は、その広大な敷地は無論のこと、家屋もたくさんあり立派だ。そこに、マット自身の家族、マットの兄弟とその家族、住み込みの雇い人たちが生活しているらしい。
まずはお茶でも、ということで母屋に招かれたが、スー族の二人と黒人のジムはすぐさま遠慮した。
マットはかれらをみてもさして表情をかえることはなかったが、それでも白人は白人。三人は気を遣ったのである。
母屋に向かう途中、放牧しているはずの牛馬、それに鶏やら犬猫までぞろぞろと集まってきた。
例のごとく幼子に挨拶にきたのだ。
わらわらと集ってきた家畜をみただけでもマットの牧場の規模がわかるというもの。
動物たちを追って管理する雇い人たちもやってきたが、だれもが驚いたのはいうまでもない。
『「豊玉宗匠」、おれたちを招いてくれたご主人の為に日の本の伝統を贈ってしてみてはどうです?』
一行の先頭でマットと駒を並べる土方に、天城の鞍上から沖田が声をかけた。
ほぼ全員が沖田の意図をよんだ。
『「梅の花-、一輪咲いても梅は梅-』
家畜たちはどんどん集ってくる。そして、そのまま一行の後をぞろぞろとついてくる。
『やかましいっ、総司っ!だいたい、なんでいっつもその句ばっか詠みやがるっ!ほかにもすばらしい句がたくさんあるだろうがっ!』
「ヒヒン」やら「モー」やら「コッコッコッ」やら「ワンワン」やら「ニャー」といった喧騒のなか、土方の怒声が響き渡った。
すべての動きがぴたりと止まった。まさしく時間が止まった。牛も馬も鶏も犬も猫も、無論、人間が跨る馬たちも、すべてを止めた。土方の怒声がすべての動きを奪った瞬間だ。
それを目の当たりにした人間まで呆然と動きを止めている。
『ほかにもすばらしい句、とはな。ということは梅を詠んだこの句もすばらしいといいたいのか、わが義弟は?』
しばしの間を置き、やっと動きがあった。奇跡ともいうべき業をみせた当人の義理の兄の呟きだ。
『父上?わざと、ですよね?いまのはぼけと申すには奇跡すぎる発言でございます』
さすがは柳生家の現当主である。そして、父親思いでもある。厳周がすかさず突っ込んだ。
『んんっ?いったいなんのことだ?』
白き虎をうちに宿し、いまや古今東西を含めて屈指の剣士、というよりかは武術家である小柄な漢は、息子の突っ込みに不思議そうに頸を傾げた。
そのとき、指笛が鳴った。大きく長いそれは、マットの農場の隅々にまで流れてゆく。
すべてに動きが戻った。
『申し訳ない。息子は動物に好かれる性質でして』
唖然としているマットに、土方は富士の頚筋を叩きながらいった。
好かれる程度の問題ではないし、すべての動きを止める奇跡もまた尋常ではないというのに。
『ああ、ああ、気にしないでくれ。ああ、ああ、今日はすこし早いがこのまま畜舎に戻ればいい。追う手間がはぶけてみなが助かった』
そして、マットもまたある意味寛容で肝っ玉が大きいのだろう。苦笑いとともにそう応じたのだった。
「やっぱすごいですよね、われらが副長は?」
また駒を進めだした土方の背をみながら、沖田が日の本の言葉で仲間たちに囁いた。
「鬼って比喩だとおもってたが・・・。古来より鬼は特殊な力を持つっていわれてるし、存外、副長はうちに鬼を宿してるのではないのかな?」
伊庭が応じると、全員がうんうんと頷いた。
「ああ、絶対そうに違いねぇ」と永倉。「間違いねぇな」とは原田。「さっすが副長。「鬼の副長」ではなくってずばり「副長」だよな」と藤堂。
「それにしても、神様もたいしたものですよね。わたしたちとは感覚の次元がことなるのでしょう」
野村が呟いた。
「いや、そこはいい意味ではなく違う意味での次元のずれだ」とは永倉。「あれだけのずれ方はもはや神の側だ」とは原田。「厳周もすごくね?きっちり突っ込める辺り、親子だからってだけじゃねぇよ。姐御もすげぇし、やっぱ柳生だから、かね?」と藤堂が締め括った。
「わたしたちもああなるのでしょうか?」
声量を落とした相馬の疑問だ。
それの意図すること、鬼の側のことなのか神の側のことなのか、知るのが怖すぎあえてだれもなにも応じなかった。
そしてぞろぞろと後を追いはじめた。
『でっ、鬼の側と神の側ではどちらの方が強い・・・』
といいかけた市村の左頬を永倉が、右頬を藤堂が、後頭部を九重の鞍上から原田が腕の長さをいかし、それぞれ張ったのだった。
マットの農場に騒擾が訪れたある午後であった。




