柳生の剣
『わたしは土方歳三。同じく日の本の武士である』英語で名乗りながら、土方は苦笑を禁じえなかった。自身は似非武士であり、故国では武士自体廃れつつあるのだ。
『あんたが送った刺客は、われわれの船で捕らえられた』
『この商船の艦長のバロンだ。それにしても小人、ずいぶんと強気だな・・・。待て待て、こいつはなんだ?』
キャプテン・バロンだけではない。群がる自身らの間で悠然と歩を進める小人。それに海賊どもが度肝を抜くのも無理はない。
『あんたたちは運がいい(ユー アー ベリーラッキー)』土方はキャプテン・バロンに清々しいまでの笑みを向けてからつづけた。『なぜなら、あんたたちはその眼で奇跡をみることができるからだ(ビコーズ ユー キャン シー ミラクルズ イン ザット アイズ)』
土方にはすでにわかっていた。これから義兄がしようとしていることを。剣自身とその遣い手たちを讃える詠唱がきこえる。まさしくあいつと同じことをその実の叔父がしているのだ。
そして気の開放。その重圧感まで同じだ。忠告を受けながら、その気の重みに押し潰されそうになる。それでも、土方はしっかりとそれを見据えけっしてそれを外そうとしなかった。野村もそうであろうし、斎藤や沖田、相馬も同様だろう。
これが柳生の兵法家、彼らの大切な弟分と同じ血をもつ剣士の妙技。
なにも特別なことはない。すでに「千子」との対話は終わっている。いまやこの剣は妖刀「村正」と銘違いの業物というだけではない。神の血を吸い、精神までをも吸い尽くした「神剣」なのだ。
喜んでいる。久々に振るわれることを。すでに「神剣」自身、いまから斬ることがわかっているのだ。あとは自身の心技体を同調させるだけ。獲物はすでに遠間に入っている。息を浅く吸い吐き出す。それを徐々に深く遅くしてゆく。
そのとき、わずかに異種の存在を感じた。自身の気ではなく、うちなるもののほうがそれを察知した。視界の隅に入ったのは、白人ではない有色人種の濃い相貌。ぞろぞろと船倉から上がってきた一団のなかにその者はいた。
それは、別働隊である永倉、原田、藤堂の「三馬鹿」がこの船の背後から忍び込み、開放した奴隷や売り物の人間たちだ。
「三馬鹿」もこちらをみている。そして、その者も。
シャーマン・・・。なにゆえか厳蕃にはその者の正体がわかっていた。それは、故国でいうところの巫女的な存在。神や精霊と対話し、ときには降ろすこともある呪術師・・・。
いや、いまはどうでもいい。いまは剣士としてしっかりと働かねばならぬ。
凄まじいまでの気に、船上のすべての人間がただなす術もなくみ護っている。
気は満ち、呼吸もいまは深く長い。
この時代、大砲の陸上戦においての主流は移動のしやすい車輪付のホイットワース砲という後装砲で、これは南北戦争でも重宝されたが、ここにあるのはそのような軽量級ではなくどっしりとした重量級だ。まさしく、船を沈没させる為のもので一昔前には砦の攻略や攻城戦に用いられたものだろう。攻城砲や重砲と呼ばれるそれは重量が二屯近くになる。
鯉口を切る。鍔に親指を掛ける。摺り足で近間に入る。柄に右掌を添える。
あの子を感じる。添える剣からかと思ったが、背に感じるのはなにゆえか?あの子の力を継いでいるのは数名いる。だが、それとはなにかが違う。なにかが・・・。
集中しろ・・・。柳生の剣を穢し、堕ちるところまで堕ちた暗殺者。だが、わたしは剣が好きだ。人間の生命を断つそれではなく、ただ純粋に技を、精神を磨き、振るえることそのものが大好きなのだ。せめて、せめて好きなことくらいはまともにせよ・・・。
一足一刀の間。小柄な剣士の最上の間合い。
年ふる偉大なる砲よ、悪く思うな。わが刃の血となり糧となれ。「神剣」よ、わが精神、わが刃となり、偉大なる獲物を両断せよ・・・。
鞘から抜き放ち、獲物を上段から斬り落とし、鞘に戻す。
気は無論のことわずかな空気の乱れもない。それは速すぎた。まさしく神速。みてとれたのはやはり永倉、斎藤、沖田のみ。そして、一度は目撃したことのある土方と野村がかろうじて感じとれたのみ。
残心とともに両の脚を揃え、両の掌は腿の付け根に添える。
刹那、重砲が縦に真っ二つにずれ、そして左右に分かれて倒れた。ずしん、と大型船が揺れる。甲板の板敷きがへこんだ。鉄の塊と化した砲が床に穴を開けたのだ。
柳生新陰流抜刀術。まさしく、実の甥と同じ妙技。
静寂。時間そのものの流れが止まってしまったかのようだ。
「すごい・・・」野村は自身の双眸から涙が流れているのも気がついていなかった。小柄な背は、いまやさらに小さな背と重なる。甲鉄の甲板上でみたものとまさしく同じもの。なにかがふっきれたような気がする。勇気が、希望が湧いてくる。二度奇跡をみた。三度目もあるだろう。つぎはこの赤子かもしれない。それまで生き抜く自信がある。そう、やれる。おれはやれる。はっきりと自覚できた。そのとき、赤子と眼が合った。無邪気に笑いながら小さな小さな両の掌を叩き合わせている。何度も何度も。それはまるで野村の自覚を肯定してくれているかのようだ。
おれはやるぞ、坊・・・。改めて誓うのだった。
土方もまた、その背があいつと重なっていた。それ以上に、あいつを感じることもできた。だが、それは奇跡を起こした義理の兄からではなく、別に感じられたような気がした。確信はないが。 いや、たしかにあいつはいる。いつもみてくれているのだ、かっちゃんとともに。
すばやく涙を拭うと、いつものように眉間に皺を寄せるのだった。




