案じる身内(ファミリー)
崩れかけた家屋の外は月光に満たされている。その淡い光のなか、土方とその妻信江、そして二人の甥であり厳蕃の一人息子の厳周が立っていた。三人ともその表情を心配の色に染めて。
「坊っ」「父上っ」待っていた者たちは家屋からでてきた者たちの名を呼んだ。そしてその姿をはっきりと認めると待ち人に走り寄ってしっかりと抱きしめた。
「母上、父上」幼子は両親の抱擁のなか、このときばかりはされるがままで嬉しそうに叫んだ。
「父上・・・」「厳周」
息子にしっかりと抱きとめられた父親もまた素直にされるがままになっていた。
「坊、大丈夫か?なにもされなかったか?」「坊、なにもしなかったでしょうね?」
両親はわが子に頬ずりしながら問うが、その内容は男親と女親では真逆だった。それを傍でみききしている白き巨狼は、口唇を上げ牙を剥きだしにして笑った。
「大丈夫です、なにもされていません」父親の頬に自身の頬をくっつけて応じる幼い息子。それから、刹那以下の間躊躇してから母親のそれにも自身の頬をおずおずと寄せた。これみよがしに両の掌を幼い息子の後頭部に回して力いっぱい自身の相貌に寄せる母親。自身の頭蓋骨が軋むのを息子は感じた。「大丈夫です、なにもしていません、母上」頭部の重圧に息も絶え絶えの息子。「それはよかったわ、坊」心からの笑みを浮かべる母親。
「父上、お顔の色が・・・」そして、柳生親子。父親もまた一瞬の間躊躇したが、心配げな表情で自身の相貌を覗き込んでいる息子をあらためて抱きしめた。そうせずにはいられなかったのだ。
「案ずるな。もう大丈夫・・・。大丈夫だ・・・」
幾度も同じことを呟く。息子に、そして自身にいいきかせる為に。
「義兄上」厳蕃は呼びかけられるまで息子の頭髪に自身の相貌を埋めていた。
それがこんなに安堵できるものなのだと、驚きとともにその感覚にしばし身を委ねた。
「大事ないですか?」土方が近寄ると、厳蕃はその土方をも抱擁した。驚きとともに義兄の抱擁に応じる土方。
「案じさせたな、すまなかった。なれどよくわかったな?」
だれにもなにもいわずにやってきたのだ。
「あなた方三人の気?いえ、なにかを感じたのです。信江も厳周も。それから身内も・・・。身内もきたがりましたが、待たせています」
「なにか、か・・・」厳蕃は呟いた。それを血の繋がりの有無にかぎらず身内にも感じ取れたのか・・・。
「いったいなにがあったのです?」
『うちなるものを召喚しようとしおった』
白き巨狼が土方の問いに応じた。
『ゆえにわたしがお尻ぺんぺんしようとしたが、わが子が止めよった』
『父さんの嘘つきっ!』そのわが子が甲高い声で断言した。『食べようとしたじゃない』『馬鹿なことを申すでない。あんな骨ばった皺くちゃを喰らうほどわたしは飢えてはおらぬ。わたしが食通なことは知っておろう、わが子よ?』
そう、人間をはじめとした肉は食さない。狼は狼でも狼神なのだから。
「いや、実際のところ、それで助かった」厳蕃は常の喧嘩相手をみて苦笑した。
『不本意ながら礼を申す』厳蕃が英語で居丈高に礼を述べた瞬間、スー族の二人も含めた全員が笑いだした。居丈高に礼を述べられた白き巨狼も含めて。
『イスカ、ワパシャ、あんたたちも大丈夫か?』土方はあらためてスー族の二人に向き直ると尋ねた。
イスカとワパシャは無言で頷いた。すると、土方は二人に頭を下げた。『あんたたちも家族だ。危険な目に合わせて申し訳ない。だが、ともにいてくれたお蔭で息子と義兄が助かった。ありがとう』
『トシ、それは違う。わたしたちが会わせたのだ。非はわたしたちにある・・・』
土方はイスカの肩を叩いてその言を遮った。
『それはただの成り行き、だ。もし一緒にいてくれなかったら、結末はかわっていたかもしれない』
それからワパシャの肩も叩いた。
『さぁ、はやいところ戻ろう。身内がやきもきしているはずだ。自慢じゃないがうちの家族は我慢強くない。すぐにでも追いかけてきそうだ』
土方は爽やかな笑みとともに促したのだった。
月光が地上の笑い声をやさしく包む・・・。