破けたシャツと呼びだし
時間を費やしてしまったが、蹄鉄を打ち直して馬たちの脚の状態はよくなった。
「義兄上、お疲れ様でした」
最後の四十を終えたとき、土方は義兄を労った。さすがに厳蕃も疲れたようだ。
「休んで頂きたいのはやまやまですが・・・」「わかっている。ときを弄してしまったな。明日の朝出発しよう」「準備は整っております」厳蕃は頷いた。今宵は軽く素振りだけして眠るとしよう、とめずらしく考えた。
が、いきなりその考えを否定する思念が送られた。
『子猫ちゃん、疲れているだろうが顔を貸してくれ』
「はぁ?冗談ぬかすな」
にべもなく応じた厳蕃にその義弟は苦笑したが、白き巨狼は容赦なかった。厳藩のシャツの裾を鋭い牙でがぶりと噛むとそのまま引き摺りはじめた。
「なにをするっ!やめぬかっ、シャツが破れるっ!信江に叱られるっ!」
それをきいた土方はさらに苦笑した。
ずれている上にそこまで妻のことを、否、妹のことを怖れているのか?
『われわれに会いたがっている者がおる。われわれ、にだ』
そのとき、「びりっ」と布の裂ける小さな音がした。
「いわぬことではないっ!」厳蕃は大人げなく気色ばんだ。
『狼狽えるでないわっ!』そして白き巨狼も大人げなくやり返した。『あとでわしからでかいのに繕ってくれるよう頼んでやる』
土方はまたしても苦笑した。壬生狼ですら妻が繕い物が苦手ででかいの、つまり島田が担当であることをよく知っている、と。
そして、拉致される義兄をみ送ると妻のところへと戻っていった。
妻からたくさんの用事をいいつかっているのだ。
連れてこられたのはオジブワ族が寝泊まりしている家屋であった。その前で幼子とスー族の二人が立っていた。どうやら厳蕃を待っていたようだ。
すでに陽は落ち、周囲は暗くなっている。無論、かれらにそれは重要なことではない。
『オジブワ族の呪術師が大精霊たちに会いたいといっています』
イスカが単刀直入にきりだした。
厳蕃は眉を顰めた。甥をみ下ろすと甥の小さな相貌にも同じところに皺が刻まれている。
『異国の神を、われわれ獣神を畏れているとばかり思っていたが?』
厳藩が問うとイスカは両の肩を竦めた。
『大精霊に救われたのだと話したら礼をいいたい、と。ですが、あの呪術師は相当な力をもっているようです。礼をいいいたいだけのようには思えません』
厳蕃はさらに眉を顰めた。甥をみると甥も同様眉間の皺がさらに濃い。こんな幼児の時分から皺を刻めばいったいどうなるのか?と考えかけたが止めた。どうせ十歳までしか成長せぬのだ。それこそ杞憂というものだ。
『嫌な予感とさらに嫌な気しかせぬが?』
甥に視線を向けると『わたしも同様です』と両の肩を竦めて伯父に同意した。
『よいではないか?弾劾されるか、あるいは畏れられるか。スー族の偉大なる呪術師に会う為のちょうどよい鍛錬になる』
『おいおい子犬ちゃん、話したであろう?その偉大なる呪術師がイスカの祖父でわれわれの身内である、と?』
正確にはうちなるもの、とである。
そのとき、眼前のほかの家屋に負けず劣らず崩れかけた家屋の扉が甲高い音を立てながらゆっくりうちに開いた。
が、家屋内の暗がりにだれもいなかった。
『ひいっ!』『ひいっ!』
発声と思念による悲鳴が打ち捨てられた夜の村にやけにおおきく響き渡った。




