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息子たちと甥っ子たち

「信江、おまえはこの子が辰巳であることに抵抗はないのか?」

 冷えた薄い珈琲アメリカンを呑みながら、兄は焚き火の向こう側にいる妹に言の葉を投げつけた。話題の辰巳・・は、火からすこし離れたところで胡坐をかき、鎖鎌をせっせと磨いている。

 それにちらりと視線を向け、厳蕃はすくなからず驚いた。つねに得物の手入れをしている、と。人間ひとや動物たちだけでなく、あらゆる得物と対話し遣いこなす辰巳。

 動物や得物だけにとどまらず、人間ひと、さらには神をも遣いこなすのか?とさえ思ってしまう。もしかすると、大神かむいどころかあらゆる神々の頂点に立つ神格があるのではないのか・・・。


「わたしにとっては辰巳も子のようなものです」

 妹がそう返していた。その意味を理解するまでしばしのときを要した。

「なんだって?」頓狂な声音であった。妹の返事の内容を頓狂だと感じたからであろう。

 厳蕃は甥にふたたび視線を向けた。すると、甥もまた驚きの視線叔母・・に向けていた。

「馬鹿なことを・・・」厳蕃はとりあえずそういってみた。よむ気力はなかった。先ほどの鍛錬は、すくなくとも厳蕃は鍛錬のつもりであったが、それはすべての気力を厳蕃から奪っていた。

「辰巳はおまえの甥だぞ。おまえの姉の子だ。おまえの子じゃない。それに、おまえ自身、あの子をぶちのめしただろう?それが子だと?」

 ふふんと鼻で笑いながら甥をみた。甥は眉間に皺を寄せ、叔父を睨んでいた。

「ぶちのめしていません」「ぶちのめされていません」妹と甥が同時にいった。

「甥だとわかっていたら、あの子にあんなことは致しませんでした」「叔母だとわかっていたら、あんなことはさせませんでした」またしても二人の言がかぶった。

おなごおとこはここが違うのです」妹は兄に自身の胸を軽く叩いてみせた。

「わたしには到底理解できそうにない・・・」小ぶりの相貌を右に左に振りながら大仰に嘆息してみせる兄。だが、口ほどに理解できないわけでもなかった。あの戦のとき、甥を息子として匿うことも考えていた。匿う云々はべつとしても、辰巳は姉の子であり好敵手ライバルであり、そして・・・。

「甥であろうと子であろうと大切な存在であることにはかわりありませぬ」

 信江はそう断言した。


「亡くなった従弟殿ですが・・・」

 そのとき、辰巳が唐突にきりだした。

 いうべきかいわぬべきか逡巡している様子が伺えた。否、辰巳は無意識のうちにそうみえるようにしているのだ。掌はまた鎌を磨きはじめている。

「左眼を喰らった後にしばらく厄介になった際、かれが愛用していた筆があったのでそれと、つまり亡くなった従弟殿自身と対話しました・・・」

「なんですって」「なんだと?」

 叔母叔父が同時に叫んだ。

「あなたと忠景殿に、両親に詫びてほしい、と。病で迷惑をかけ案じさせたこと、そして先に死んだこと、詫びてほしい、と。そして、礼を申してほしい、とも。生んでくれたこと、育ててくれたこと、そして愛してくれたこと、これらを伝えてほしい、と・・・」

 病で死んだ従弟の伯父は言の葉もなく、そして母親は両の掌で相貌を覆った。気丈な母親も死んだ息子の想いに直面し、涙を止めることができなかったのだ。

「なにゆえいまなのだ?なにゆえいまごろ伝える?なにゆえおまえが蝦夷で死ぬまでに伝えなかった?」

 厳蕃の疑問は当然だ。

「ええ、ありましたとも。京から尾張へ旅する間、わたしは幾度も伝えようとしました。が、できなかった。あのとき、わたしにその勇気がなかったから・・・」

 辰巳は鎖鎌を地に置くと立ち上がり、ゆっくり信江に近づいた。

 その途中、焚き火に直近したとき、辰巳がちらりと炎に視線を向けたのを厳蕃は見逃さなかった。

 自身が与えた精神的抑圧トラウマは深刻だ。

「許して下さい、叔母上・・・。わたしは・・・、わたしはそのことを伝えることで、あなたの心がわが主から離れてゆくのではないかと・・・。それを畏れたのです・・・」

 辰巳は囁くように告げた。叔母に掌を伸ばしかけて思いとどまった。

 厳蕃は、またしても驚かざるを得なかった。

(自分自身、ではなく自身が主と慕う土方歳三から?)

 この子は、どこまで他人ひとのことしか考えぬのか?自身のことを蔑ろにするのか?あるいは、これもまた無意識のうちに叔母叔父の心情こころを操ろうとしているのか・・・。

「わたしは、死んだ従弟殿に対して負い目がありました。伝えるべきか否か迷いつづけました。伝えたいまも気持ちがすんだわけではありませぬ。なぜなら、あのときに伝えるべきことだったからです。本来ならわたしはここにはいなかった。わたしがここにいるのは神の悪戯・・・・によるもの、伝えぬままわたしは死んだ・・・。詫びようにも詫びきれませぬ・・・」

 単調な呟きが流れてゆく。それが炎の上がるちりちりという音と同化してゆく。

 ずきん、と厳蕃のこめかみにまたしても痛みが走るのだった。



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