Unconsciousness(無意識)
「追ってくるな!放っておいてくれ」
繋ぐこともない馬たちは一塊になって身を寄せ合っている。それは草食動物の習性だ。とくに夜間は肉食獣に襲われやすい。互いが互いを護りあい、周囲を警戒しあう。
その馬たちの間を厳蕃は足早に歩いていた。追いかけてきた白き巨狼に対して駄々っ子のように怒鳴った。
『厳蕃、おいっ、待てっ!待てというのがわからぬのかっ』思念が厳蕃の背にぶつかったがその歩みは止まるどころか緩まることすらなかった。
『自覚も実感もないのだ、致し方ないといえば致し方ないが・・・』
白き巨狼は四本の脚を使って大きく跳躍した。その距離は大きくすばやかった。厳蕃の頭上を軽く飛び越えるとその前方に立ちはだかった。
月明かりの下、どちらも夜目はきく。ほんのわずかの間互いの双眸に互いを映していたが、人間の方が獣のそれから自身の視線さきにを逸らし、ついで歩む方向もかえた。
『らしくないのう、厳蕃?いまさらうちなるもののことで傷つくか?おまえの甥はとうの昔にそれを乗り越えある程度の折り合いはつけておるぞ』
ふたたび思念を背に叩きつけられ、厳蕃の歩みがやっと止まった。
くるりと振り向いた厳蕃の小ぶりで秀麗な相貌にぞっとするほどの冷笑が浮かんでいた。
「それはそうであろうな、あの性悪の甥ならば」
『ふんっ!なにが気に入らぬ?厳蕃、おぬしの精神が乱れておるは、なにもうちなるもののことだけではないのであろう?むしろそれよりほかのことのほうが重要なようだ』
「そうだとも、狼神。おぬしの性悪の育て子はいったいなんだ?いったいなに様で、人間の世でなにをしたいのだ?あるいは親や身内や仲間たちになにをさせたいのだ?」
自身の実の甥を悪し様に罵る厳蕃に対し、つぎは白き巨狼が冷笑を浮かべる番であった。
『わかっておるであろう?おまえの甥がなにかは?だが、なにをしたいか、人間をどうしたいか、仲間や家族になにをさせたいかはわからぬ。おまえの甥は掴みどことのない演技者だ。神ですら真意をよむことも探ることもできぬ』
「馬鹿な・・・」両の掌を上に向け、呆れたという表現をしてのける厳蕃。だが、心のどこかでは白き巨狼のいう通りだと思っていた。
『辰巳は自覚なく周囲を操っている。人心を弄んでもおる。どちらも無意識におこなっておるがゆえに性質が悪い。そして、さらに厄介なのが、それらをおこなっておるのが欲でも大義でもなんらかの啓示によるものでもないからだ』
厳蕃ははっとした。それ以上ききたくないとばかりに後退した。両の耳朶を両の掌で覆った。精神を閉ざし思念を遮断したかった。
「やめろ、もうよい」ふたたび怒鳴り散らした厳蕃の両の瞳から涙が零れ落ちてゆく。止めようにも止められない。
『厳蕃、あの子は一人ですべてを背負おうとしておる。あの子はみずからを破滅させようとしている。それを意識下で行っておる。だからこそ厄介なのだ・・・。だからこそだれにもどうしようもできぬのだ。だれにも、な・・・』
馬たちに囲まれ、厳蕃はその場に両膝を折った。
唯一涙だけが生あるものとして動き、異国の地を濡らすのだった。