叱責
「おい坊っ、連中は?」
永倉が呼びかけると一行の頭上、生い茂る枝葉の間からひょっこり幼子とその育ての親が顔を覗かせた。
枝が揺れるどころか葉が擦れ合うわずかな音もさせることなく、頭上から飛び降りてきた。
幼子は大雪の鞍上厳周の前にすとんとおさまった。その育ての親は地に華麗に着地する。
「父さんの遠吠えとわたしが騎馬たちにその場に止まるようお願いしただけで、兵たちは怯えて逃げていってしまいました」
幼子はしれっとそう答えた。白き巨狼は唸った。嘘ではないがずいぶんと内容を端折っている。そして、その白き巨狼の思いは幼子の伯父も同様だった。
「陽動しろ、と命じたはずだったが?」金峰の鞍上で厳蕃は小さな甥を睨みつけ詰問した。
「陽動する前に逃げてしまったのです、伯父上」甥はまっすぐ伯父の視線を受け止め答えた。
それも嘘ではない。育ての親は心中で溜息をついた。厳蕃は甥を、正確には辰巳を過小評価している。辰巳は暗殺者たちの基準で考えても異常だ。異常すぎる能力に精神力、そして経験を持っている。その世界に生き、そこで糧を得ている者ですらそれを尋常ではないと判断するだろう。
同じことをしても辰巳は他とは違う結果をだす。くわえて、つねに周囲の人間の感情と考えの先の先までみ通すこともできる。つまり、そうとはわからぬよう周囲を操っているといえるのだ。紐育にいた頃、父親からあれほど他者の精神を操るな、試すなと叱られ、母親からはさんざん尻をぺんぺんされたというのに・・・。
否、正確には自身でもわからずにやっているのだ。それが他者を操っているとか試しているという自覚がないに違いない。
「父上、よいではありませぬか。坊は嘘をついているわけではありませぬ。それに、追われていた者たちも助かりましたし、われわれも無駄に軍隊と接触せずに済んだのです」
いまもそうだ。厳周の傍にいったのは、従弟を実弟のごとく溺愛している厳周がそう擁護することがわかっていたからだ。否、意識下にそうさせる為だ。
『わが子の申したことは真だ、厳蕃。陽動する間もなかった。愚かな騎兵どもは、逃げる者は追えても姿なき化け物に相対する勇気はないとみえる』
そして、白き巨狼は自身もまた育て子の意識下で操られていることをわかっていながらそう思念を送っていた。名前を呼んだことで厳蕃は気がつくだろう。無論、育て子も同様に気がつくであろうが。
「ちぇっ、いいとこ持っていかれちまったか、坊に?」
張り詰めた空気を感じ、藤堂がわざとおどけた。
「まっ、厳周のいう通り、軍隊との接触はできうるかぎり避けたほうがいいだろう」
永倉もまた同様にのんびりした口調でいった。
「師匠・・・」斎藤もまた厳蕃に剣を近づけてとりなすようにいう。
厳蕃とその甥の視線は合ったままどちらも逸らそうとしない。
厳蕃にはわかっている。接触を避けるという点ではその通りだ。が、問題はそこではない。そうしたのがあきらかに辰巳という名の狩人だからだ。
過小評価だったか・・・。白き巨狼が気づかせてくれた。辰巳は、厳蕃自身が想像や推測しているもの以上の性悪なのだ。
昔、尾張で会ったときのままの辰巳であると信じようとしているだけなのだ・・・。
「ずきん」こめかみに痛みが走った。かけられた暗示の裏にいったいなにがあるというのか・・・。
厳蕃は甥から自身の視線を引き剥がした。
「逃げていた者たちと合流できた。いま、イスカが事情をきいている。ゆくぞ」
そう告げると金峰が馬首をもときた方向へとみずから向けた。
「坊、気にするな。伯父上はおまえのことを案じているだけだ」永倉がその後につづく。
「坊、こういうのを『可愛いい子には旅をさせろ』っていうんだ」沖田が口唇を開けるよりもはやく伊庭が「言の葉」の先生ぶってから比叡を走らせた。
「いいや坊、もっと適切なのは『泣いて馬謖を斬る』、だよ」と沖田。やはり「言の葉」の先生だ。
「げーっ、それだったらまだ崖から落とされたほうがいいかな?」すかさず、藤堂が意味不明な解釈でもって沖田の名言を打ち消してしまった。
「平助っ!」走りだした那智の平助を追う沖田の二枚目の天城。
「ずいぶんずれてしまったし、しかも厳しくなってしまいました・・・。従兄殿、あなたの能力のすべてを、わたしたちが理解できていないのでしょうね・・・」
一騎取り残された大雪の鞍上で厳周は従兄の背に話しかけた。
「従兄殿、わたしたちは二度とあなたを失いたくない、二度と失いたくないのです・・・」
そこで言を切ってから厳周は口唇を開けることはなかった。
大雪も走りだした。その後を白き巨狼が追走した。




