騒乱ふたたび
屋根はたくさん穴が開き、ところどころ腐って崩れかかっている。大人がそこに上るのは難しい。が、幼子にとってはなんてことはない。屋根の上に立ち、南西の方向をじっとみていた。
「今度はなにがみえる?いや、なにを感じてるんだ、坊っ?」
地上からその幼子をみ上げているのは数名の大人たちだ。
藤堂の問いに幼子は屋根上から返した。
「血の臭いが追われている。すごくたくさんの金臭いものに追われている・・・」
「なに?それって傷ついたなにかが武器を持った連中に追われてるってこと?」藤堂は周囲の仲間に尋ねた。
妥当な推測だ、と周囲の者たちは頷いた。
だとしたら尋常ではない推測だ。
「つぎはなんだ?わが甥はつぎはなにを感じている?」
にわか装蹄師の厳蕃とその息子が、作業を終えて建物のなかからでてきた。その後ろから手伝っていた残りの者がつづいてでてくる。
「追われているのは?人間か動物か?」
伯父の問いに、その甥は本格的に感じようと屋根上で片膝ついて瞼を閉じ、集中しはじめた。
上空から朱雀が玉置の右肩に舞い降りた。「新選組」の翼ある隊士である大鷹は、心得たものでいつでも指示を受けられるよう待機している。
「追われているのも追っているのも人間・・・。追われているのはすくなくて、追っているのはたくさん・・・。両方とも馬で走っている・・・。ここから二十里(約80km)、五十マイル位のところをこちらの方向に向かっている・・・」
それをきいた全員が気を引き締めた。
だれも幼子が感じていることに疑いを持つ者はいない。
「軍隊かな?それとも賊かな?」
だれかがいった。たしかに、大勢のひとまとまりだとすればそのどちらかの可能性が高い。
「坊っ、もういい降りてこい」土方がいうと幼子は立ち上がって屋根上から跳躍した。三間(約5、5m)の高さから音もなく地に降り立った。
「陽が沈みかけている。朱雀を物見にだせるか、坊?」
父親の問いに息子は小さな相貌を右に傾げてしばし考えていた。
「飛ぶのはできます。ですが、みることは難しいかもしれませぬ」「きいっ!」途端に玉置の肩上で朱雀が抗議の鳴き声を上げた。
「だって朱雀になにかあったらどうするの?」幼子がいい返した。「きいいっ!」朱雀もいい返す。
『わかったわかった、わたしがゆけばよいのだろう?この天馬のごとき脚をもつ華麗なる白き狼がみずから物見にいってやろうではないか?』
作業場がわりの建物から悠然とでてきたのは白き巨狼だ。
ふっ、と秀麗かつ小ぶりの相貌に浮かんだ冷笑をみ咎め、白狼は大きな赤い舌を口吻から垂らしてあかんべえをした。
『子猫ちゃんにはできぬであろう、えっ?』
「親子喧嘩は後にして下さい、義兄上っ、壬生狼っ!」
「親子というでない」『親子というな』
人獣の声音と思念がかぶった。
「状況によっては追われている者を助けねばならぬ・・・。かといってそうと判断するのは難しい・・・」
土方は一同をみ回した。このときもやはり全員が自己主張している。
自分にゆかせてくれ、と。
土方は自身でゆきたかった。が、また一悶着するのは目にみえている。
「義兄上、わたしの代役を頼めますか?」
厳蕃なら冷静に物事をみ、判断できる。自身よりよほど適任だ。
そしてその意図を汲んだ厳蕃は無言で頷いた。
「新八、総司、斎藤、平助・・・」
「よっしゃあっ!やってやるぜ副長っ」「副長、気が利いてるっ!「近藤四天王」に任せてくれるんだ」「へー、めずらしい。いいんですか「豊玉宗匠」?」「お任せを。かならずやご期待に添いまする、副長」
永倉、藤堂、沖田、斎藤とそれぞれがあいかわらずの反応だ。
「坊っ、伝令役に朱雀を伴って同道するのだ。伯父上と父さん、それと兄貴たちを困らせるな」
「はいっ、父上」
「八郎っ、厳周っ、頼むぞ」土方にいわれて伊庭と厳周は驚いたようだ。「承知」「叔父上、承知致しました」とそれぞれ戸惑いつつ応じた。
「なにそれ?二人はおれたちの抑え役ってわけ?」沖田が苦笑した。
それが正解であることをだれもがわかっている。
『わたしもいっていいですか、どうもいつもとは違う気を感じます』
そのとき、おずおずと呪術師のイスカが申しでた。
『心強い、頼むぞイスカ。おい「四天王っ」、なにが起ころうとなにがなんでもイスカを護り抜け、いいな?』
「承知」「近藤四天王」が同時に了承した。
手慣れたものだ。そのすぐ後には一行は打ち捨てられた村を出発していた。




