三大随筆と履き違え
数頭が蹄に違和感を訴えているという。蹄鉄の打ち直しを行うこととなり、それに数日かけることにした。
厳蕃が中心となり、今回は全員が手伝うこととなった。なにせ頭数が多い。柳生親子、斎藤、田村だけでは到底間に合わない。
蹄鉄の打ち直しと世話、に明け暮れた。それでも合間に鍛錬や勉強、趣味と一行はうまく時間を使う。
島田や永倉、原田に市村、ジムが馬体をおさえ、柳生親子や斎藤、野村や田村、山崎が丹念に蹄鉄を打ち直す。土方、伊庭、相馬に玉置、スー族の二人が蹄を削ってゆく。信江に沖田や藤堂が馬を連れてきたり連れていったりと全員が大忙しだ。無論、幼子とその育ての親の白き巨狼が馬たちに寄り添い話し掛け、緊張をほぐしたり気をそらしたりする。
『お馬様様だな・・・。同じ四つ脚のわたしとはずいぶんと扱いが違うではないか?』
白き巨狼の思念に厳蕃が「ふんっ!」と鼻を鳴らした。
「徒然なるままに、日ぐらし、 硯に向かいて、心にうつりゆくよしなし事を そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂おしけれ」
それから吉田兼好の『徒然草』の冒頭をそらんじる。若い方の「三馬鹿」の為だ。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、又かくのごとし」
つづいて厳周が鴨長明の『方丈記』をそらんじる。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。 秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし」
清少納言の『枕草子』の序文を厳蕃がふたたびそらんじた。
「これらは三大随筆と呼ばれておる。有名な文だ。覚えておいて損はないぞ」
作業をしながらそう締めくくった厳蕃。田村と玉置は作業の掌を止めて興味深く耳朶を傾けている。そしてやはり市村は市村らしく頓珍漢な問いでもって厳蕃を驚かせた。
「師匠、覚えておいて損はないって、いったいなにに対してですか?まさか斬り合いながら春はなんたらって叫んで・・・。あ、そうかそれで相手の意表をつく活人剣の一種ですね?」
その場にいる全員が掌を止め、そのまさかの推測について脳裏で検討した。
意表をつきすぎている。だが、ありかもしれない・・・、と。
「とんでもなくお馬鹿だ、鉄?」藤堂が笑った。「で、実際はいつ披露するのです、師匠?」
「いらんこといってねぇでさっさと吾妻を連れていって九重を連れてこい、平助っ!」
この場にいる幾人が厳藩の言の葉の真の意味を理解しているだろう?その一人である土方は気色ばんで怒鳴った。
荒れ果ててはいるが元は畜舎だったような建物のうちに仮の装蹄場を設えていた。
土方の怒鳴り声で吾妻、大山、十二、三十三が固まり土方に注目した。
小さく指笛が鳴った。土方の息子のものだ。すると四頭は馬首を幼子のほうへと向け直した。
「愛しの子どもたち、優雅でのびのびとした随筆を学んだり覚えることはじつに有意義だとは思うわ。でもそれを使うところをけっして履き違えないでね。だれかさんのように知識をひけらかすところや機会を誤らないで。」
唯一の女性たる信江のその忠告は、最後のほうにはずいぶんと棘があり鋭かった。その冷ややかな笑みと視線は、覚えておいて損をしたことのない漢へと向けられている。
「なに、どういうことなの母さん」「ええっ?意味がわからないよ、母さん?」「なんなの?いったいなにを得するっていうの、母さん」
若い方の「三馬鹿」が混乱するのを横目に、三大随筆を覚えて得をしている漢と似たような手段で得をしたことのある土方、それと原田が呻き声を上げた。
「ふーん、そうなんだ」そして、得をしたことはないがその意味を知って得をしそうな沖田がにんまり笑ってしきりに感心していた。
揶揄いの情報がみつかったときの沖田特有の笑みがその二枚目な相貌に浮かんでいたのはいうまでもない。