死番
二隻の小型船に分かれ、敵船へと向かった。「The lucky money(幸運の金)」号の乗員には何名かの戦闘員がいる。傭兵経験のあるその大男たちは、平素は主に力仕事をし、非常時には戦って船そのものとそこにいる全ての人間と積み荷を護るのだ。船の扱いも大したもので、その戦闘員たちが武士たちを危地へと運ぶことをかってでてくれた。
敵側と同じように、こちらも乗り込む際には熊手を引っ掛け、縄をよじ登る。新撰組でいうところの「死番」の役を斎藤がかってでた。同じ「土方二刀」のもう片方の刃より託されたのは、柳生新陰流でも先人が正式には遺さなかった奥義の技とその刃自身が編み出したそれ。そして、彼らの遣い手である土方自身・・・。それらすべてを護る為、齋藤もまた必死だった。
「一、その気概を忘れるな。おぬしはわが義弟にとって、そして死んだあの子にとってもなくてはならぬ存在。最終的にそれらを護り抜けるのは、いや、護ってもらわねばならぬのはおぬしをおいて他にはない」
斎藤の両肩に小ぶりだが分厚い掌を置き、厳藩が語りかけた。その深くて濃い双眸は、齋藤のそれを下からしっかりと捕えて離さない。
「おぬしの力、精神、わたしにはよくわかっている。あの子がわかっていたように。だからこそ、かような場所で無駄にそれらを脅かす必要などない。「死番」とやらはわたしで充分だ。この子が戦えるようになるまでわたしがやる。あの子に代わってな。ああ、案ずるな。京の疋田家の道場であの子と遣り合ったのは、あの子もそうだがわたしも力を抑えていた。暗示をかけてな」ふわりとした笑み。斎藤が了承するいい方を心得ている。
案の定、斎藤は素直に了承した。もとより、新たにできた尊敬できる師に逆らうつもりなどない。
隣でそれをみながら、土方はたまらない気持ちだった。
信じるものの為にすべてを背負い、心身を削りつづける柳生の剣士たち。やめさせたくともできぬもどかしさ。それを強いているのは、自身だという事実・・・。
「あー、あー」その土方のシャツの裾をひっぱるのは、壬生狼に銜えられ、宙ぶらりんの状態のわが子。土方の眉間の皺の深さが若干やわらいだ。掌を伸ばすと髪がずいぶんと生え揃ってきた頭を撫でてやる。
父の懸念通り、わが子の左眼の視力はないという。
左側の瞳も右側のそれと同じようにあらゆる動きを追っているのですっかり視えていると思っていた。
『あの子と同じだ。この子もまた視えていない。わたしの真似をし、動きのあるものを眼ではなく音やにおいで追っているにすぎぬ』白き巨獣が告げた。『だが、主よ、案ずるな。あの子と同じようにわたしが生きる術、そして戦う基本を叩きこむ』ああ、それは間違いないだろう。狼神の子育ては完璧なのだから・・・。狼神の息子はあらゆる意味で凄かった。
「「豊玉宗匠」?またあの子のことを考えてたでしょう?新八さんのいうとおりだ」
気が付くと、総司が片膝折っておれの子の頭を撫でながらおれを見上げていた。にやにやと笑っている。
「総司・・・」「はいはい副長。わかってますって」膝を掌で払いながら立ち上がる。おれの呼び名のことに文句をつけられたと思ったようだ。
「おい、病で腕、にぶっちゃいねぇだろうな、「三段突きの沖田」さんよ?」
沖田はほんのわずかの間だけたじろいだ。そう返してくるとは思わなかったのだ。だが、すぐに立ち直った。彼自身が護った近藤と同じ位、土方との付き合いは長く、そして親密だ。
「まさか!」両の掌を打ち合わせ、おおげさにおどける。「あなたの句作よりかははるかに成果をあげれますよ、「豊玉宗匠」?」
彼らの足許では、赤子が沖田と同じように小さな小さな掌を打ち合わせ、嬉しそうに笑っている。
「ふんっ、近藤さんの剣は錆びちゃいねぇはずだな?」肩を叩く。労咳でやせ衰えていたそれもいまではすっかり筋肉がついている。
「ええ、「近藤四天王」の第一の剣は研ぎあげたばかりのように光り輝いていますよ」不敵な笑みとともに返す沖田の横で、同じ「近藤四天王」の一人である斎藤が苦笑した。藤堂以外の三人は、われこそが四天王の筆頭、と自負していたし、隊内外で筆頭は誰かということをよく論議されていたものだ。
「ですが、今回は手柄は年長者と年少者に譲りますよ、「豊玉宗匠」」土方の耳朶に口唇を寄せ、そっと囁く。
沖田のいう年長者は厳蕃、年少者は野村のことだ。
土方もまた苦笑した。
「壬生狼、ゆくぞっ!この子にこれから起こることをかぶりつきでみせてやってくれ」
『まったく、人間のくせにこの年ふる神をなんだと心得おるか・・・』白き狼に思念で返されるよりも早く、厳藩はすでに縄をするすると上がってゆく。
そして、壬生狼は赤子を銜えたままその立派な四つ脚で小型船の床を蹴り、大きく、そして高く跳躍した。