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武士(さむらい)たち、大海原へ!

 箱館政府が解体したのは明治二年(1869年)五月。その前年である明治元年(1868年)十二月に起こったそれは、たった五ヶ月の間しか存在しなかった。

 いわゆる旧幕府軍による政権。永きに渡ってつづいた悪しき因習と平和を破られ、居場所をなくすと同時にそれより追われ、起こりうる改革とその後の新しき世を怖れ認めず、やむなしに流れ流れてゆきついた北の果て。そこで行われた戦は、一方的な吊るし上げにすぎなかった。

 それでも、多くのおとこたちがそれぞれの想い、しがらみを抱えて戦い、それぞれの終着点を得た。たとえそれがどこであろうと、いかなる結末であろうと・・・。

 

 亜米利加メリケンの商船「The lucky money(幸運の金)」号の持ち主はニコラス・ダッドリーという商人だ。

 ニックは維新の際にたまたま清国からこの小さな国に立ち寄った。そこでみたものは、武士さむらい同士の戦いだった。商人仲間の仲介で、ニックが商売相手として選んだのは箱館政府の側だった。

 数奇な運命、というには出来すぎている。もう何年も前、まだ駆け出しだった時分、海賊に襲われたところをたまたま英国海軍の哨戒艇に救われたことがあった。その哨戒艇にはたった五、六名の高級将官と年端もいかない異国の少年が乗っているだけであった。違和感のあるその組み合わせは、おそらく、なんらかの密命を帯びてのことかあるいはただの気紛れ巡航クルーズだったのか。兎に角、その特異な一行の内にあって、なんとその異国の少年が海賊どもを追い払ったばかりか、そのなかでも国が懸けていた賞金首を笑って譲ってくれたのだ。

「船と物資の損害に当てて頂ければ。どなたにもお怪我がなくてなによりです」英国風のじつにきれいな英語でそういったその少年が、じつはかの有名な「竜騎士ナイトオブドラゴン」であるときいて心底驚いたものだ。

 「竜騎士ナイトオブドラゴン」のことを知らぬ者はいない。遥か東方の小さな国の伝説の忍者しのび

 

 じつはニックが立ち寄ったのも、伝説の騎士ナイトの生まれ故郷をみてみたいというのもあったのだ。無論、商売が一番、であるが。

 兎に角、ニックは遠き異国の地で恩人に再会できた。伝説の勇者は、ニックのことを覚えていたばかりか心から再会を喜んでくれた。

 そういう経緯があり、ニックはこの仕事を引き受けたのだ。

 彼はいま人間ひとという名の荷を運んでいる。「竜騎士ナイトオブドラゴン」の身内や仲間たちだ。行き先は彼の母国。「竜騎士ナイトオブドラゴン」が例の戦で死んだことは非常に残念だが、小さな英雄に恩を返せるのならなんだってするつもりだ。

 東方の小さな国を出航して三ヶ月、西海岸からカリブ経由。寄り道しながらの航海。まもなく危険地帯に差し掛かろうとしているが、積荷のほとんどがその地域に出没する海賊どもよりよほど危険物ばかり。すなわち、積荷は積荷自身のみならず、この「The lucky money(幸運の金)」号をも護ってくれるであろうから、めずらしくニックも安心していた。

 日の本の武士さむらいたちのお手並み拝見。かえって兇暴、悪質なカリブ海の海賊どもに襲ってきてほしいとさえ思えるのだから、「竜騎士ナイトオブドラゴン」の仲間たちのことをずいぶんと高く買っていたのだろう。もっとも、根っからの商人たる彼の感覚に外れなどない。

 天候も味方し、航海は実に順調だ。


「くそっ!まだまだっ!もう一本お願いします」

 甲板に市村いちむらの声が響く。左右に田村たむら玉置たまきが、いずれも腰を落として立っている。三人とも無手。出航してから後、三人はずっと体術の基礎を学んでいた。

 それは三人だけではない。いわゆる剣一筋でやってきた大人たちも同様だ。

 不意打ちとばかり、市村が捨て身で相手にぶつかると、連携して田村と玉置が左右から相手に足払いをかけた。すでにこの三人は「若い方の三馬鹿」と呼ばれており、その馬鹿っぷりと連携っぷりは「元祖三馬鹿」にひけをとらない。

 同時に仕掛けられた足払い。確実に相手のそれぞれの踝に当たった。だが、相手は倒れるどころか体勢を崩すこともない。微動だにせぬ、とはまさしくこのこと。

つうっ!」「いてっ!」仕掛けた側が足の甲をおさえる始末だ。そして、自ら囮となった市村は、にんまりと笑った相手に強烈なでこピンを喰らった。

「いたたたっ!」短く刈り揃えた髪の下、猛烈な陽光と海風に晒され、てかてかに光る額をおさえてうずくまる市村。相手が口唇を開きかけようとしたところへ、同じように痛がっていた田村がその背後を、玉置は相手のすぐ真下からその懐を脅かす。

 田村が相手を羽交い絞めにして上半身を、玉置は腰に縋り付いて相手の下半身を、それぞれの動きを封じた、つもりでいた。

 すでに市村は一足飛びに近間に入っており、伸びた右側の掌は相手の喉元にぴたりと狙いをつけている。

 刹那、相手の姿が文字通り消え失せた。田村と玉置はそれぞれしがみついていたはずの対象物を失い、勢いあまって互いにぶつかってしまった。そして、やはり狙った獲物を失い、空しく伸びた市村の右掌は、不意に懐の内に現れた相手の同じ側の掌に握られ、そのまま自身へと反転され、またしても額を、今度は自身の右掌で張ることとなった。

「もうその辺にしておけ、三馬鹿」三人をまとめて呼ぶのに本名である鉄之助、銀之助、良三では面倒とばかりに、いつの間にかまとめてこう呼ばれるようになっていた。無論、元祖は永倉、原田、藤堂で、こちらは敬意(?)を表して「元祖」と呼ぶ。もっとも、元祖にしろ若い方にしろ、馬鹿は文字通りではない。ただの愛称にすぎず、どちらの「三馬鹿」も当人たちはそう呼ばれることを気に入っているようだ。


「ははっ、なかなかいいところまでいったではないのかな?」残った左掌をひらひらさせながら伊庭が相手に近寄ると、相手はまたにんまりと笑った。相手も伊庭も控えめにいっても眉目秀麗で、そして剣の腕はその外見以上に凄まじい。ともに繊細で緻密な技を持つ。

「うーん、三人ともわかりやすいのですよ。まずはそのわかりやすい気と表情かおをどうにかせねば」

 元尾張藩藩主徳川慶勝とくがわよしかつの剣術指南役だった若者がいった。自身、まだまだ修行中の身。こうして他の流派や仲間たちと競い合えるのはいい刺激であり勉強になる。このご時勢、剣術指南役そのものはなくなったが、一応は家と流派の当主である。この度の船出も父親の猛反対を受けた。叔父や叔母、そしてこの仲間たちの助力と自身の情熱におされる形で父親もくることをなんとか了承してはくれたが、まだまだ納得はしていないだろう。せめてこの旅の間で成長し、心から納得させるだけの成果はださねばならない。


「よしっ!なら今度は素振りだ」三馬鹿は愛称だが、その中でも市村はわずかに違うようだ。剣術馬鹿?一途?兎に角、このときも相手すなわち柳生厳周の言の意味がわかっているのかわかっていないのか、とにかく体を動かすことですべてが解決できるとばかり、今度は愛用の太い木刀をひっつかんでくると、さっさと素振りをはじめてしまった。

 市村は、箱館で土方にその愛刀「和泉兼定いずみかねさだ」や肖像写真ポートレートを日野の実家に運ぶよう託され、それを終えるとしばらく敵であった薩摩の桐野利秋きりのとしあき、昔「人斬り半次郎はんじろう」と呼ばれていた「幕末四大人斬り」の筆頭のところにつてを使って転がり込んだ。そしてわずかな間に示現じげん流の手ほどき受けた。力や体躯は確かに成長してはいるが、その性根たちは相変わらずだ。


「彼は伸びますね。一途で一生懸命だ」厳周は年長の隻腕の剣士を見上げた。似た境遇はさることながら、隻腕になってからもその類まれなる努力で父をも驚かせるほど剣を遣いこなせるまでになっている。その成長はとどまることを知らず、精神力も含めじつに頭が下がる思いだ。

 一方で年少者の尊敬の眼差しを受け、伊庭は人差し指でこめかみをかいた。伊庭は死んだことになっている。江戸の四大道場の一つに上げられる「練武館れんぶかん」の跡取り息子。無論、伊庭家は幕臣だった。「伊庭の小天狗」と呼ばれ、多少なりとも腕に覚えはあった。だが、上には上がいる。それを心底思い知らされた。その延長線上、例の戦で小田原藩士で鏡心一刀きょうしんいっとう流の遣い手高橋藤五郎たかはしとうごろうに皮一枚を残して右手首を切断されかけた。そして箱館戦争。あの戦で死ぬはずだった。だが救われた。公には死んだことにはなっているが、こうして生きて修行し、これからまた面白いことが待っているはずだ。尊敬する土方ひじかた柳生厳蕃やぎゅうとししげ)、そして仲間たち。生きていてよかった。心底痛感する。同時に、救ってくれた者たち・・・に対する感謝の念は余りある。

 

 伊庭はとくにこの年少の厳周とうまがあった。境遇が似ているからだろう。違うところは流派と生死・・のみ。

 だからこそともに修行できることが、語り合えることがなにより楽しかった。

「それに、きけば鉄は最強の剣士を木刀でひっぱたいたというからね」伊庭がいった。「ああ、ききましたよ、その武勇伝」

 厳周がそれに応じ、そして二人は同時に笑った。

 

 市村に負けじと同じように太目の木刀を持ってきて打ち振る田村と玉置。

 三人の熱のこもった気合は、頭上を照らす太陽よりも熱かった。




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