ディスクリミネイション
黒人のジムを仲間に加え、旅はふたたびはじまった。
じつは連れてゆく連れてゆかないで一悶着あったのだ。これはなにもジムの人柄やましてや黒人だからという理由ではない。土方ら一行の将来に問題があったのだ。
なにせ戦をしに、あるいはそれを招く為に旅しているようなものだ。そこに巻き込むのはどうか、とだれかがいったのだ。
ジムは気弱で心根のやさしい漢だから。
だが、本人がついてゆきたがった。このまま流れ流れてゆけば、飢え死にか病死するか、下手をすれば悪いことに手を染めてしまうかもしれぬ。出会い知り合ったのも縁。それをこのまま放りだすというのもどうか・・・。当人がいますこし自身で生きてゆく自信がつくか、差別という悪習にいますこし改善がみられるか、様子をみてそのときには送りだせばいい・・・。
当人を交え幾度か話し合い、ともに旅することとなった。
『人間は愚かだ。なにかしら理由をつけては他者を貶める』
二台あるうちの馬車の一台の馭者台にお座りしている白き巨狼の思念が流れてきた。
『亜米利加はひどい。それはさまざまな人種が入り組んでおるからだ。が、日の本のようにほぼ同一民族だというのに差別が存在する。差別はさまざまなところにあるのだ』
『そうだね、アイヌの人たちは蝦夷に昔からいる人たちだ。それなのに内地から侵略してアイヌの人たちの生活を脅かし蔑んでいる』
その隣で馭者をしている玉置が英語で同意した。アイヌの人たちと暮らすうちに玉置自身アイヌになりきってしまったのだろう。内地から、とアイヌの人たちが呼ぶのと同じ呼称を使っていることに幾人かが気がついた。
『それだけではない。昔、権力者が定めたつまらぬ身分階層のお蔭で、生まれてきた身分によっては人間としてすら扱ってもらえぬであろう?おい童、どういう制度かわかるか?だれがなんの為に作ったかわかるか?』白き巨狼が右斜めの位置で歩ませている伊吹の鞍上の市村に怒鳴った。永倉や沖田が小さく噴出した。壬生狼にまで試されている人間の市村っていったい・・・。
『うーん、江戸時代?徳川家康?武士がでかい面する為?』
市村の単語一つ一つの語尾が上がっていることにまた永倉や沖田が噴出した。
『ふむ・・・。当たってはおらぬがまったく見当はずれというわけでもないな。わが弟子よ、説明してやれ』
弟子?全員が驚きとともにもう一台の馬車に注目した。その馭者台の馭者役の伊庭の横で相馬が読書中だ。
相馬は説明してやった。そのもとは清が春秋戦国時代の民における分類であることを。それを後に孔子の儒教によって理論化されたことを。そして、その概念が日の本に持ち込まれたのは奈良時代であることを。
「だいたい、身分なんてもんがあるから一緒になるのだってややこしいんだ」
原田が九重の鞍上で憤った。
「なにいってやがる、左之?てめえはそのことで苦労したわけじゃあるまい?」
富士の鞍上の土方が笑った。
原田は京でおまさという商家の娘に惚れた。永倉や坊の協力でその心は射止めたものの、商家の娘という身分が邪魔をして婚姻が難しかった。通常、こういう事例は一旦武家や医師など権威ある家格に養子に入り、その上であらためてということが多い。無論、それをするには多額の出費をみこさねばならぬ。
が、おまさの実家は御家人株をもっていた。御家人株とは、喰うに困った士分がそれを売り、それを買うこと得られるもの。つまり、肩書きを買うわけだ。ゆえに原田がおまさと一緒になるのになんの障害もなかったわけだ。
『それは兎も角、新撰組もずいぶんと蔑まれたものだ。武士という身分を与えられた後でも「しょせん生まれながらの農民よ」、とかぬかしてな』
土方は苦笑した。新撰組は永倉のようなちゃんとした士分の者もすくなくなかった。が、局長副長はそうではない。近藤も土方も生まれたのは農家だ。農民の子として生を受けた。たったそれだけのことが一生を左右するのだ。だが、そもそもの身分の違いだけではない。同じ士分であっても土佐藩のように上士と下士でその扱いが天国と地獄ほど違う場合がある。他藩でもそこまでではなくともあきらかに扱いは違う。
いかなる差別もないところなど人間の世にはないのだ。そう、人間は差別なくして生きられぬのだろう。
『じつに愚かであろう?』
白き巨狼はふんと鼻を鳴らすと同時にそう吐き捨てたのだった。