漢(おとこ)の甲斐性
「違うっ、誤解だ信江。たしかに若い時分には・・・。だが京では情報収集の為に花街にいっていただけだし、それ以外では時間などなかった。花街ですらいきたくとも・・・いや、興味がなくなった。っていうよりかは信江、おまえと出会ってからそんなことは考えることすらなかった。おまえのことを考え、おまえ会いたさに時間を作ってた。そのことは斎藤が・・・」
湖畔の町からというよりかは食後に暴露されてからずっといい訳をしていた。土方の尻に強烈な平手打ちを喰らわしてから信江はこれといってなにもいわず、それどころかいかなる感情もあらわさぬのに土方はなにゆえかいい訳をしていた。
それほど信江を怖れて、いやいや愛しているからなのだろう。
「いったい何事だ?」
「うわっ!」土方は暗闇のうちから現れた自身の義兄をみて落馬しそうになるほど驚いた。木々の間から突然姿を現したのだ。
「父上っ、落馬しますよ」「ひいっ!」いつの間にか富士の鞍上には自身の息子が現れていた。後ろから小さな両の掌を父親の腰に当て、父親が落馬しないよう防いでいた。土方はそれにも心底驚いたようだ。
「なにをかようにおおげさに反応する?われらはわざと気配をさせて近づいた。信江は無論のこと富士と大雪ですら気がついていたぞ」
信江は大雪に騎乗していた。二頭が同時に唇を上げて笑った。
唸る土方。
「義兄上、宿の食事が美味かったのでお持ちしました。もっとも、すでに夕食はお済みでしょうし持ってきたものは冷めてしまっていますが。ですが、イスカとワパシャなら食べるかと。朝食にされてもいいでしょう?」
土方は一気にまくしたてた。
「ふむ・・・」厳蕃は二本の指で形のいい顎を擦りながら近づいた。富士の鼻面、それから大雪のそれを順番に撫でてやる。
土方には「ふむ・・・」の意味が測りかねた。すでになにがあったかはよんでいるはずだ。食事のことかそれともあったことか、いったいどちらに対してのふむ、なのか?
「信江、まともな漢であれば女遊びの一つや二つするものだ。それに義弟もいまだにしているわけではない。この容姿だ、すれ違いざまにでも振り返った女子がおったとしても義弟は興味をもつどころか無視するであろう。信江、おまえに惚れ込んでおるからな・・・」
突如擁護がはじまったことで、土方は「ふむ」の意味が後者の考えであったのだとわかった。
「お言葉ですが兄上、わたしは怒っていませぬ。いまさら昔のことを詮索するつもりなど毛頭ござりませぬ。漢の女遊びについてもある程度理解しているつもりです」
「義弟のいい訳がかなり長い間つづいていたのでな・・・。まぁおまえが理解してくれているならよいのだ。それに夫婦のことだしな・・・」
「父上も伯父上も助平っ!」
うまくまとめている機会で幼子が叫んだ。その甲高い叫び声は暗い森にとてもきれいに響き渡った。
枝の間からは無数の星が瞬いている。
「なんだと坊っ!おまえの父親は兎も角、なにゆえわたしまで助平と断言されねばならぬのだっ!」
「義兄上っ!」つい先ほどまで漢全般の正論を述べていたはずの義兄が舌の根も乾かぬうちに発した言をきき咎め、土方は怒鳴っていた。
「わたしは違うぞ。常識の範囲内だ。妻と出会う前と失った後だ。それを助平とはどの口が申すかっ!」
「義兄上っ!それはおれも同じです。それに常識の範囲内とはどういう常識なのです?」
いまや漢同士の醜い争いへと発展していた。
土方の後ろで幼子がくすくす笑っている。信江ですら愚かな漢どもに苦笑を禁じえないでいた。
「母上、こういうことが「目糞鼻糞を笑う」というのですか?それとも「同類相憐れむ」?」
うれしそうに尋ねるわが子に掌を伸ばし、信江は必要以上の力をこめてその頭を撫でた。
「あまりいい言の葉ではないわね、勇景?なにより父上と伯父上に失礼です。たとえそれが真だとしても、口唇の外にだしていいものではありませぬ。あぁ、わたしたちの場合は心の片隅にも思ってはなりませぬよ」
信江のほうがよほど嫌味ったらしい。
「はいっ母上。総司先生にせっかく教えてもらったのに使ってはいけなかったのですね」
しょんぼりする幼子。
「総司ーっ!」
そして同時に同じ名を叫んだ愚かな漢たち・・・。
湖畔の静かな夜が更けてゆく。