ペリーと湖
スペリオル湖,ミシガン湖,ヒューロン湖,エリー湖, オンタリオ湖は世界最大の淡水湖群だ。「五大湖」と呼ばれるそれらは、亜米利加と加奈陀の国境の役割も果たしている。
その一つであるエリー湖は、湖底が海面にない唯一の湖だ。その名は湖畔に定住していた「エリー・インディアン」からつけられた。
その湖で文化十三年(1813年)に亜米利加と英吉利で湖上戦が行われた。「エリー湖の戦い」というその戦は、亜米利加海軍の九隻の艦艇が英吉利海軍の六隻の艦艇を破って捕獲した。
そのときにもっとも活躍したのがオリヴァー・ハザード・ペリーという若き将校であった。「エリー湖の英雄」と呼ばれ、現在でもその功績を称えられている。
ペリー家は軍人一家だ。父クリストファー・レイモンド・ペリーは海軍将校であった。クリストファーにはオリヴァーも含めた五人の男児があったが、全員が海軍将校となった。
オリヴァーの末弟のペリーは、日の本を根底から揺さぶり変革させた「東インド艦隊」、あの「黒船」の長官である。
ちなみに、現代の日本ではペリーというとそのマシュー・ペリーと認識されているが、母国のアメリカではペリーというと兄のオリヴァーをあらわす。日の本を鎖国から開国させた功績よりも戦の功績の方がよほど英雄視されるのだ。
「うわーっ、海だ、海だ!」
白い砂浜がひろがっている。遠くの方には町らしきものもみえる。
岸辺にはみたこともないような形の船に何週間ぶりかにみる人間の姿もあった。
一行は馬車を砂浜近くの林に置き、騎馬で砂浜に繰りだした。
市村が一番乗りだ、といわんばかりに伊吹を水辺に向けて走らせた。
「おいっ鉄っ、呑ませるなよ!塩っ辛くて伊吹がお陀仏になるぞ」
それを追いかける藤堂と那智。那智はなにゆえか口唇を上げ白い歯を剥きだしにして駆けてゆく。
「主計、あの馬鹿二人にあれがなにか教えてやってくれ」
眉間に皺を寄せ、土方は富士の頸筋をやさしく撫でながらいった。
「承知」生真面目に応じる相馬。
『彼らは方向音痴に違いない』
フランクが笑った。
『そうだよな!』ほぼ全員が応じて笑声を上げた。
「そういや平助のやつは京に上洛した途上でも近江で琵琶湖をみて「海だ、海だ」って騒いで、ほかの浪士組の連中に白い瞳でみられて恥かいたよな?」
原田もまた相棒の九重の頸筋を撫でながらいった。アラビア種の濃い九重はさらに加わった四十頭をあわせても馬高がずば抜けている。
「そうだった。あんときゃおれも心底感心したね、あいつは筋金入りの馬鹿だって」
永倉も金剛の頸筋を軽く叩いている。
また笑声が起こった。
どの馬も駆けだしたくてうずうずしている。
「坊」土方が自身の前にちょこんと座している息子を呼ぶと、息子は父親のいわんとしていることがすでにわかっている。
「承知」という返事と移動とが同じであった。富士の鞍上から伯父の金峰のそれへと瞬きする間もなく乗り移った。
『神は迷える馬を導き給う』白き巨狼が系統の異なる神のおこないをすることを唱えてから砂浜にお座りした。同時に厳蕃の金峰が四十頭の馬たちに向かって駆けだした。
それは狼とは思えないほど爽やかで明るい遠吠えだった。
「さあみんな、水浴びの時間だよっ!」
「それっ、みんないったいった!」
幼子とその伯父の呼び掛けに四十頭が同時に駆けだした。
みな愉しげな表情だ。
じつは四十頭の名に関して全員が悩んだ。名を与えれば情が湧く。全頭がずっと一緒にいられるわけではない。いつかは別れがくるだろう。それでもともにいるかぎり仲間である。何日も話し合い悩んだ結果、それぞれの鞍に漢数字を刻みそれで呼ぶことにした。「三十九」や「四十」、「二十三」、「十六」というように。漢字の勉強になるようにと相馬の発案がその決定打だった。
悲しいかな、市村だけでなく藤堂や原田、野村といった真名の苦手な連中は鞍に刻まれた数字のそれをみて頸をひねり、脳みそを絞り、挙句の果てには「きみ」やら「おい」やら「あなた」やらでごまかす始末であった。
「よしっ、われわれもゆくぞ」
土方の号令以下最初からいる組も猛然と駆けだした。
いつもは静かなエリー湖畔に馬と人間の嘶きや歓声が響き渡ったある夏の一日であった。