流星群(スターダスト)と素振り
素振りは剣術の基本だ。無論、漫然と振るだけではなんの効果もない。多くの者がその基本を怠るか信じないかのどちらかだ。ゆえに多くの者がそれだけの力がつかぬままで終わってしまう。
ときの許すかぎり振りつづける。一振り一振り丁寧に力のかぎり振る。体調のすぐれぬときもあれば気ののらないときもある。そういうときはいくらやっても無駄だ。きっぱりと諦める。雨の日も風の日も体調と気のいいときには振る。それはずっとずっと昔からつづけている習慣だ。食事や睡眠あるいは息を吸ったり吐いたりするのと同じこと。そう、同じことなのだ。
ニックの農場にいたときに柳生親子が重さの違う鉄棒を何本か用意しておいた。それをこの旅にも馬車に積んでいる。
一番重い鉄の棒が二十貫(約75kg)、ついで十貫(約37kg)、そして一番軽いもので五貫(19kg)。二十貫で素振りができるのは柳生一族と永倉くらいだ。永倉もまた素振り一等主義でそれこそが剣術、と信じて疑わない。幼少に道場に通いはじめた時分より、道場の稽古が終わって松前藩の江戸上屋敷にある家に戻ってから鉄を仕込んだ竹刀を振っていたという。そして、その同じ二十貫を柳生の姫君である信江も振れるのだから驚きだ。その驚くべき膂力に、夫などはさらなる脅威を抱いたのはいうまでもない。ちなみに、夫のほうは剣術のみならずあらゆる基礎基本が好きではない。剣術にかぎっていえば、理心流の時分からこつこつ素振りをつづけるなどという習慣などないし習慣づけようという考えすらないというのが自慢だ。沖田がいう「お情けの目録」というのは存外出鱈目ではないのかもしれぬ。
「みてみて、星が落ちてきそうだ」
玉置が一番軽い五貫の鉄棒を空に振り翳して叫んだ。
鉄棒を物色している者、すでに準備の終わっている者、等しく天空をみ上げた。
大平原での夕食後のひととき、そこには満点の星星の輝きに満ちていた。玉置のいうとおりいまにも落ちてきそうだ。
だれもが思った。日の本でこれほどの星をみたことがあったか、と。あるいは星をみ上げる余裕や情緒はなかったな、と。
月を愛でることはあった。とくに酒好きたちはそれを肴に、あるいは大義名分にして兎に角呑むのだ。そして甘党は団子を頬張るいい訳にする。さらには、俳人には名月ほどいい題材はなかろう。
が、ほとんどが星に対しては関心はなかった。蝦夷組がかろうじて星を眺めていたくらいだろうか。
亜米利加では月よりもむしろ星星のほうがその存在を主張している。
「あっ、流れ星だ」だれかがいった。すると田村が「願い事願い事」となにゆえか両の掌を合わせ瞼を閉じて口中でなにかを唱えはじめた。すぐに残りの若い方の「三馬鹿」がそれに倣った。
「おれもやっとこ」「わたしも」「あ、おれも」と幾人かが同じように空から流れ落ちてゆく星に願いを託した。
『人間は面白いのう。星に願うか?しかも掌を合わせて?』
白き狼が笑った。実際、その大きな口のなかにある犬歯を剥きだしにした。篝火の光が大きな牙を浮かび上がらせ、それをみた幾人かは同時に思った。あの牙にかかったら八つ裂きにされるだろうな、と。そう、狼の牙は亜米利加の小刀などよりよほど斬れ味がいいのだ。
「子犬ちゃんは情緒も夢もないからいかぬな」
厳蕃が苦笑した。白き巨狼に対し皮肉をいいながらも星に願いを託すほど夢想家ではない。腰を屈めると馬車の荷台に並べてある一番重い鉄棒を掌に取った。そのとき同じ重さの鉄棒に違う掌が伸びて掴んだ。信江だ。厳蕃は呻いた。いまでもまだ鍛錬をつづけている妹に対しいったいどこまで強くなるつもりなのか?と思わないように努めた。だが遅かった。刹那以下の機で鉄棒の先端が厳蕃の鳩尾に入った。身をわずかに退いたのでまともに入らなかったものの、口中から息が漏れでるほどの痛みは伴った。
「あら失礼、兄上」
微笑み詫びる妹に、兄は鉄棒を握らぬ掌で腹部を摩りながら苦笑するしかない。
そのときまた掌が伸びてきて同じ重さの鉄の棒を掴んだ者がいた。その者は二人の眼前、馬車の荷台に立っていた。
幼子だ。大人でも振れない代物を片方の掌で掴んで軽々持ち上げた。
毎夜の柳生家の鍛錬で使用しているからである。
「あら、あなたにはいまはまだそれははやくなくて、勇景?」
母親が微笑とともに注意した。幼子は即座に掌を引っ込めた。それから荷台の上でわずかに後退した。怯えた瞳が伯父へと向けられる。
「わたしを巻き込むな」伯父は甥を突き放した。本気状態の妹を怖れているのはなにも甥だけではない。
幼子は諦めると一番軽いのを掌に取った。
「あっ、また流れ星」幼子が荷台の上で夜空の一角を指差した。
「願い事、よね?」信江はそういってからみなと同じように掌を合わせ瞼を閉じて星に願いを託した。
この夜、幾つもの流れ星を拝むことができた。
流星群だ。
素振りどころの騒ぎではなかったのはいうまでもない。