『論語』
「儒教」とは、孔子を始祖とした信仰の一つである。その歴史は古い。仁・義・礼・智・信を祖とするその思考は、仏教よりも前に日の本に伝来された。同時期に伝わった陰陽五行思想と併せ、後の陰陽道の素地となった。
前振りからはじまり、『論語』が紐解かれてゆく。それを按上や馭者台で熱心にききいっているのは相馬や山崎、玉置といった勉強熱心な漢たち。それぞれの愛用の筆記帳に記しを取っている。それ以外でも土方や柳生親子などほとんど者がききいっていた。小難しい話には興味を示すどころか完全遮断する元祖「三馬鹿」や市村でさえ、その絶妙な語り口調、ふんだんに盛り込まれた諧謔に惹き込まれている始末。信江もまたききいっていた。そして、その息子も。
白き巨狼は優秀な先生であった。
育て子を背に乗せ、一行の先頭を悠然と歩みながら思念を送る。
『儒教はもともと巫女的要素からきておる。仁・義・礼・智・信、これらは武家の教えの素でもある。わたしが孔子に悟らせてやったとき、あやつはまだ洟っ垂れの餓鬼であった。いまでこそ孔子、と呼ばれておるがそれは尊称だ。たしか諱は丘で字は仲尼とかなんとかであったか・・・』
「教えた?えっ、壬生狼が?そんな大昔の清の国の人に?」
市村が伊吹の鞍上で頓狂な叫びを上げると、人間の突っ込みよりもいちはやく伊吹が分厚い口唇を上げ白い歯をみせた。それはまるで「にたり」と馬鹿にした笑みを浮かべたように人間にはみえた。「鉄、おまえの記憶力は蟻んこ並だな?」蟻はどの位覚えていられるのだろう、藤堂はそういいながらどうでもいいことを考えていた。
「それをいうならその頭のなかはお花畑ってやつだろう?」原田もからかう。この面子による突っ込みはいつもどおりだ。
『狼神じたいが依代だ。いつもいつも動物を依代とするわけではない。依然申したろう?面倒臭いから獣を選んでいるだけ。人間の姿のことのほうが多い。本来は龍やら虎という神獣ではあるが、われわれの人間型は武将であるぞ』
「なんだと?われわれとは、われわれのことを申しておるのか、子犬ちゃん?」
さきほどの市村よりも頓狂な叫びだ。厳蕃は自身を指した親指を白狼の背にいる自身の甥に向けた。
『当然であろう?われわれ以外におるか、馬鹿者め』ふふんと鼻で笑われ、厳蕃はむっとしながらもいろいろ想像せずにはいられなかった。
蒼き龍と話しをした。正確には精神に直接語りかけられた。その際、その声音や語り口調、そして感じる気はずいぶんと若い、そう譬えていうなら若い方の「三馬鹿」と同じくらいに感じられた。
自身はどうなのだろう?虎の印象から太っちょの気難しそうな壮年の武将を脳裏に思い浮かべてしまう。
はっとすると全員が注目していた。
騎馬たちの歩みまで止まっていた。
厳蕃は赤面した。
「いえいえ義兄上、われわれはたとえいかなる姿形であろうと気に致しませぬ」
「師匠、虎のごとく格好よくじゃなくとも、おれたちの師匠に対する尊敬の念にかわりはござりませぬ」
「兄上、わたしも皆さんと同意見です。兄上が老いた頑固者の武将であろうと、兄上は兄上でございます」
「父上、わたしも同じです。父上がでっぷり脂ののった武人であっても、きっとその腕は凄いのでしょうから」
土方にはじまり斎藤、信江、厳周の言だ。
そして、「きゃははは」・・・。幼子にいたっては心底おかしそうに馬鹿笑いしている。
ちっとも嬉しくない。ほかの者もたいしてかわらぬ想像をしているに違いない。
全員が格好悪いと想像?否、断定している。
「なにゆえだ?なにゆえわたしだけを想像する?蒼き龍は?甥のほうも、いや、黄龍である子犬ちゃんも想像すべきであろう?」
厳蕃は大人気なくも金峰の鞍上から白狼とその背にいる甥を指差した。全員がそちらへと視線を移した。
しばしの沈黙の後、厳蕃は自らの敗北を悟った。
虎より龍のほうが格好いいだ・・・。
「あの壬生狼、はやくつづきを・・・。論語をはやく習得したい・・・」
生真面目な勉強家の相馬の一言に厳蕃は救われたようなものだ。
『よかろう弟子よ。おぬしなら教え甲斐がありそうだ。洟っ垂れの孔子を越えてみせよ』
進行方向へ長い鼻面を向けながら黄龍は微笑した。
何千年もその姿をみていないが、白虎も青龍も時代と経験を重ねて成長しているだろう。息子らの成長した姿をみてみたい、と思うのは親として当然のことなのだ。
『子曰く、学びて時に之を習う。亦た説ばしからずや。朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。人知らずして慍おらず、亦た君子ならずや』
『論語』の「学而第一 の一つめ 子曰學而時習之章」である。
それが起こった国とはまったく異なる時代の異なる国の大平原、獣によって諳んじられているとは思えぬほど、それは優雅かつ崇高にそれぞれの精神に流れ沁み込んでゆくのだった。