独逸(ドイツ)の海賊
「The rising sun(朝日)」号はパナマ国籍の商船だ。が、無論、それは表向きに過ぎず、じつは「The sailor of hell(地獄の水夫)」という二つ名を持つ海賊船である。
三本マストの戦列艦で、改造したものだ。乗組員のほとんどが百戦錬磨の猛者たちで、それ以外は商船などから奪った奴隷と金になる人間だ。奴隷は有色人種ばかりで、実質この船でこき使われている。金になる人間とは、そういうもともとは英吉利海軍で使われていたものを手合いの商人に高値で売ったり、身代金と引き換えたりする貴重な商売道具である。
「はいっ!」
掛け声とともに、巨躯の水夫が海上に白い皿を投げる。それは青い海上を青空へと向かって凄まじい速度で飛んでゆく。
「ぱんっ!」と弾ける音。刹那、「命中っ!」と欄干に頬杖付き、ケプラー式望遠鏡を覗いている小柄な水夫が叫ぶ。
「キャプテン、さすがですな」部下の讃辞をさして喜ぶでもなく、キャプテン・バロンは手にしているモーゼル社製のボトルアクションライフルをその部下に手渡し、その替わりに杖を受け取る。
後にGew71と呼ばれるようになるこの銃、モーゼル社という独逸の銃会社が製造したものだ。前年に設計され試作品が作られた。まだ世間に発表すらされていない、文字通り新作を、キャプテン・バロンは独自の伝で入手したのだ。この翌年に発表され、その後独逸帝国に採用されてその軍で重用されることとなる。モーゼル式ボルトアクションライフルの元祖ともいえる銃である。
キャプテン・バロンの本名を知る者はいない。知っていた者はこの世におらず、知ろうという者も同様だ。頭髪はきっちりと油で塗り固められ、カイゼル髭に背広にズボンという姿態は、どこか貴族をも思わせる。噂では、独逸の貴族で軍の派閥争いからそこを追われたという。海のない独逸人にとって、海賊稼業は格好の隠れ蓑になるということか。
もっとも、いまでは亜米利加、英吉利、仏蘭西から追われている身ではあるが・・・。
射撃の腕前を披露したばかりのキャプテンに、この一行の参謀であるトムが近寄って告げた。無論、トムなどというのはどこにでもある名で、親がつけた名でもなければ洗礼名でもない。要するに偽名だ。この船の乗員のほとんどが脛に傷のある者ばかりで、本名などとうの昔に捨てたか忘れたかのどちらかだ。したがってトムやらジャックやらがひしめき合っている。
「キャプテン、西側より商船が確認できました。間もなく商人への引渡しがございます。仕入れをなされるならいまのうちかと」
参謀もまたキャプテンと同じように背広にズボンといういでたち。外見はどこぞの紳士とみえなくもないが、右頬にうっすらと傷跡が窺えるところから、生粋の紳士ではなく、他の水夫どもよりかは利巧で弁舌が立つ程度であることが、その醸し出す雰囲気からわかるだろう。
「ほう?逆航路?面白いものを積んでるかもしれん。いつもどおりの手はずで奪ってこい」
この時代、欧州から流れてきた移民団は東海岸から西海岸へとこのパナマ運河を使うか、陸路を出来たばかりの鉄道を使うかで移動していた。無論、西から東へと航海する船もある。それらは亜細亜にいっていたのがほとんどで、ようようにして面白いものを積んでいることをキャプテン・バロンは経験から知っていた。
「アイアイサー」キャプテンの命に応じ、痩躯の参謀が掌を振ると屈強の水夫たちが集まってきた。慣れたもので、その掌にはそれぞれ得意の得物が握られている。そのほとんどが銃だ。
彼らは曳航している小型船に乗り換え、獲物に忍び寄り、それに乗り込んで襲い掛かってそのすべてを奪い、破壊するのだ。
曳き綱を離し、音もなく離れてゆく小型船を船上から眺めながら、キャプテン・バロンはいつもと違う感覚に襲われていた。
胸騒ぎ、という感覚に・・・。
「みろよ、イスカ。あいつらまた襲うつもりだ」
武器庫から甲板に砲弾を運んでいるのは二名の若者。頭部の羽飾りと素肌に皮衣を羽織った容姿から、欧州の民が連れてきた奴隷などではなく、先祖伝来亜米利加を母なる地として暮らしてきた民の一員であることがわかる。
「精霊が騒いでいる。だが、どうもいつもと違うようだ・・・」
イスカと呼ばれたほうの若者は、歩みを止めてそう呟き真っ黒に日焼けした彫の深い独特の相貌を天空へと向けた。
「なにかが起こりそうだよ、ワパシャ」
ワパシャと呼ばれた若者もまた、同じように天空を仰いだが、残念ながらよくわからなかった。
「おれにはわからない。でも、おまえがいうのだからきっとなにか起こるんだろう」
「ふむ。起こるさ。なにかがやってきて、そのなにかが起こす・・・」
二人はスー族の戦士で、イスカは夜明け前、ワパシャは紅葉の意味をもつ。そして、イスカの祖父も父もシャーマンなのだ。
「おいっ、お前ら、さぼるんじゃない」
歩みを止めた二人を見咎めた水夫が怒鳴り散らした。
無表情でその水夫をみ、それからたくましい肩に砲弾を担ぎ上げて所定の位置へと運び始める。
「ったく、これだからやつらは・・・」その背にいわれのない水夫の非難がぶつかる。
いまはまだそのときではない。不覚にもこのよそ者どもに捕まってしまうへまを犯してしまったが、そう遠くない将来に必ずや自由になれるであろうことがイスカにはわかっている。
大精霊がいっているのだ。間違いはない。
もうしばらくの辛抱だ・・・。
 




