午後の体術(アフタヌーン・マーシャルアーツ)
藤堂が足払いをかけた。厳周はそれをよけるどころかわざと右の脚で受け止めた。藤堂の蹴りが軽いことがわかっているからだ。刹那、二番手の市村が背後から羽交い絞めした。それもまたあえて羽交い絞めにされてやった。そのまま前のめりになると市村の体躯が宙を舞った。市村の腰から下が不安定で容易に舞わすことができるのだ。さらに三番手が襲う。原田だ。長躯をいかし、前のめりになった厳周の顎を狙って拳を繰りだした。その拳を右の掌で受け止めそのまま飛んだ。体躯をひねり関節技にもってゆく。長躯を逆手に取って原田の右の腕を捻じり上げる。五番手は玉置だ。原田の右腕を取っている厳周の足許を、二人の前方から原田の脚の間をすり抜け足払いをかける。それを厳周は原田の膝頭の後ろ側に軽く膝打ちした。自然と原田は膝からくずおれ、脚の間そすり抜けようとしていた玉置を敷いてしまう。六番手は斎藤だ。こちらは正攻法、原田から飛び退った厳周に真正面から手刀を繰りだす。その刃のごとき鋭い手刀を厳周は手首を掴んで止めた。すでに七番手、背後から永倉の拳による正拳突きが放たれていた。それを厳周は斎藤と同じように手首を握って止めたばかりか両の掌で永倉・斎藤の手首を握ったまま倒立してのけたのだ。そして、二人は動けないまま倒立から地に降り立った厳周に引っ張られ、永倉と斎藤はお互いの体躯をいやというほどぶつけられたのだった。
「すごい!厳周兄、また腕を上げたよね?」すこし離れたところで見物していた田村が称讃した。
「七人が束になってかかってもてんで歯が立たない。うん、きっと厳周のほうがはるかに腕を上げているんだ。ま、これだけ練習相手をさせられれば、頼む方よりよほど練習になるだろうから」
沖田が拍手しながらいうと、その七人はいっせいに野次を発した。
「なに?わかってるよ。おれは体術はまだまだ。厳周相手にやりあおうとも思わない」
沖田は七人をよみ先手をうった。
この昼下がり、賊の隠れ家で鍛錬をしながらかねてからの「流派」における技の研究を行っていた。
隠れ家はもとは牧場だったようで、畜舎も騎馬が夜露を凌げるだけの大きさがあり、賊たちは自身らの家屋のみならず畜舎も雨漏りしない程度には整備していた。まがりなりにも軍馬とともに大きな戦で戦い生き残ってきた兵卒たちだ。かれらなりに馬を大切にしていたのだろう。
朝は馬の世話に費やされた。近くに沢があることがわかり、そこで馬の体躯をきれいに拭ってやった。それから草地まで移動し放牧した。
現在、その番は相馬と野村、それと白き巨狼が行っている。白き巨狼などは『家畜の番犬ではない』とぷりぷりしていたが、さわやかな午後である。昼食後ともありかなりの確率で午睡を貪っているに違いない。
相馬は幾冊かの分厚い書物を、野村は木材と鑿や小刀など彫刻用の道具を、それぞれ袋に詰め込み喜んで馬たちを引率していった。
土方夫妻にその兄厳蕃、山崎、島田、伊庭は家の設備をみてまわるついでに信江の家事の手伝いだ。
そして、幼子は朱雀とともに林のなかの一番背の高い木の上で過ごしている。
『白い頭の鷲さん』と交信する為だ。
残りの者がこうして鍛錬と技の研究にいそしんでいる、というわけだ。
「ぎりぎりというところですよ、総司兄。わたしもいよいようかうかしていられなくなってきました」
厳周は頭をかきながらいった。毎夜の鍛錬で従兄にてほどきをしてもらっていなければ余裕などまったくなかったはずだ。それほど全員が腕を上げている。沖田も口ではそういっているが、体躯の動きは剣技に劣らずすばやく鋭い。若い方の「三馬鹿」も船上での鍛錬のときとは比較にならぬほど上達している。そして、永倉らもそうだ。もともと剣や槍に執着し、体術など基礎も知らなかったかれらもいまでは相当な手練れになっている。
やはり「新撰組」は武術においては特別揃いなのだ。
「うかうかしていられないな・・・」
厳周は一人呟きながら林のなかで一番のっぽの木をみ上げた。
そこにかれの体術の師がいるのだ。