昔の感覚(フィーリング)
五頭の騎馬は速歩で平原を駆けてゆく。うち三頭の鞍上には縄で縛られた賊二名とそれらに情報を流していた若い保安官補が騎乗している。鞍に縛り付けられた三名はいまではしっかりと意識を保ち、鞍上で騎馬の蹄の動きに合わせて動きを奪われた体躯をただ揺らしていた。
大きな夕日が西の空に沈もうとしている。
富士の鞍上に土方が、剣の鞍上に斎藤と幼子がそれぞれその体躯を置いていた。
斎藤が幼子を乗せよう、といったのだ。
その提案を拒むつもりも理由も土方親子にあるはずがない。
「副長のお陰で久方ぶりに昔の感覚を味わうことができた」
賊の隠れ家に行くときと同じように剣と斎藤は富士と土方の右斜め後ろについている。斎藤がだれにともなくいうのをきき、土方は自身のもっとも信頼する一刀に視線を向けた。
「いいえ違います、血生臭い感覚のことではありませぬ。なんといいますか、一体感というのでしょうか・・・」
常よりあまり主義主張をせぬ斎藤らしく言の葉の中途でいい澱んだ。尖り気味の顎の上に照れた笑みを浮かべる。
「あぁわかってる、おれも同じだ。ああ、たまたま殴ったのが相手の鳩尾にうまく入ったっていうまぐれ感覚のことじゃねぇぞ」
土方はわざと自身を卑下した。斎藤に合わせたのだ。
斎藤の前にいるはずの息子は剣の馬首でほとんどみえない。
賊の隠れ家に向かったときもそうであったがいまもほとんど口唇を開かない。
成長とともに口数がすくなくなっていると感じるのは気のせいか?それはなにも童特有の臆病や心身の障害などによるものとはまったく異種のものだ。これが十歳を超えた辺りなら育ち盛りによくある反抗心や格好つけたがるものによるものかもしれぬ。事実、土方自身もその年齢には無口こそが漢の象徴だと信じていた。それが格好いいものだと錯覚していたのだ。ゆえに家族やかっちゃんをはじめ、親類やつるんでた連中に対して無口をおし通したものだ。
いくらなんでも息子の年齢ではそれははやすぎるだろう?
いらぬことは語らず、きかず、みぬ、という闇の世に生き務めを果たす者の常識・・・。
まるであいつのごとくわざと、というよりかは習慣的に無口になっているかのようだ。
畜生、またしてもこじつけているだけか?
土方は前方に向き直ってから無意識のうちに親指のささくれを噛んでいた。
はっとして右側の掌を広げると、親指だけでなくどの指も爪の周囲の皮がささくれだっている。血が滲んでいるのも一箇所や二箇所だけではない。
土方は苦笑した。義兄やあいつのことはいえぬ。これもまた重圧に対する昇華といえよう。自身もまた精神的に病んでいるのだ。
「坊、わたしはおまえの死んだ従兄とああして敵に対したものだ・・・」
斎藤の声音でふたたびはっとわれに返った。
富士は偉い。手綱を絞るまでもなく、土方の意を汲み速歩の速度を落として剣と馬首を並べてくれた。
「副長?」
斎藤が驚いた表情で左に下がってきた土方をみた。そのすぐ前で息子が父親をみている。視線が合うと息子はにっこりと笑った。
「坊、斎藤はおれにとってもっとも信のおける親友の一人だ。昔、おれはその親友とおまえの死んだ従兄を都合のいいように使っていた。とても親友にさせるようなことではないこと、親友にさせてはならぬことを平気でさせていた。心底後悔してるよ・・・」
「副長・・・。それは違います。われわれは・・・」
斎藤が反論しようとするのを土方はささくれのいっぱいできている右の掌を上げて制した。
「坊、それが事実だ。職務だ、組の為だ、ってのはなんのいい訳にもならねぇ。いまもそうだ。そう後悔しつつ同道させて危ない橋を渡らせちまってる。坊、おまえを死んだ従兄にみたて、おれは昔の感覚を味わいたかったからだ・・・」
「父上、わたしはあなたの血を分けた息子だから、わたしはあなたの刃になって、一兄とともにあなたを護り敵を斃すことはできないのですか?」
息子は剣の鞍上から父親をきっと睨みつけた。これもまためずらしいことだ。
「なにをいっている坊・・・?」斎藤は驚いた。が、その一方で嬉しかったのも否めない。幼子を介し、その死んだ従兄に認められたような錯覚を抱いた。
「馬鹿いってんじゃねぇっ!」父親はしれず怒鳴り散らしていた。このときばかりは騎馬たちも場の空気をよんでいるのか脚を止めることなく町の方向へと速歩をつづけている。
「幼い息子に護られるほどおれはおちぶれちゃいねぇっ!おめぇが護るんじゃねぇっ、おれがおめぇを護るんだ。調子にのるなっ!」
眉間に皺を濃く刻んだ「鬼の副長」の逆鱗は、普通の童であったら気絶してしまってもおかしくないほど怖ろしいものだ。たとえ実子であろうとも。
無論、土方の実子は普通でない。気絶どころかぐずることすらなかった。
富士は偉い。その機でこんどは速度を上げた。
剣から距離を置いたところで土方はささくれだった指先で目頭を揉んだ。
複雑な気持ちだ。もっと年齢を重ねた息子の言ならば親として誇らしく思っただろう。この年齢でははやい、はやすぎる。それは幼き子の描く夢物語的なものでも怖いもの知らずの正義感からでもない。現実な想いなのだ。
その一方であいつがまた自身を護りたい、「土方二刀」の一振りの刃として斎藤とともに傍にいたい、といっているような錯覚もあった。やはりそれもまたそう思い込もうとしているだけか・・・。
気がつくとまた親指の爪の辺りの甘皮を噛んでいた。
すぐに口中に血の味が広がった。
「坊、父上を案じさせるな。困らせてはならぬ」
遠くなった土方の背をみながら、斎藤は前に乗っている幼子にいった。それから「触れるぞ」と無意識のうちに承諾を得たことに斎藤はわれながら驚いた。
死んだ坊に対していつもしていたことだ。
幼子の頭部がこくんと縦に振られたのをみ、斎藤はその頭を撫でてやった。
「そうだな、もっと大きくなったら先ほど申したこともおかしくない。おれもそれまでには「柳生の大太刀」に挑戦し、それ相応の腕前になるよう鍛錬を積む。ゆえに「土方二刀」としておれとともに「鬼の副長」の傍にいてくれ、よいな坊?」
答えのかわりに幼子は小さな背を斎藤に預けてきた。
斎藤はその頭髪に自身の相貌を埋めた。
陽と甘い匂いが鼻梁をくすぐった。それもまた死んだ坊と同じだと思うと口唇から不覚にも嗚咽が漏れそうになった。




