道連れへの信頼
土方の富士も斎藤の剣もわかっている。ゆえに迷うことなく疾駆していた。
会話はない。大平原を馬の蹄が力強く大地を蹴る音だけが小気味よくきこえるだけだ。
京にいた時分、土方は会津藩や諸藩との会合や商家などとの折衝などで他出することがすくなくなかった。そういった話は無論相手の家屋敷ですることもあれば祇園や島原といった花街で接待を受けたりしたりといったことも多かった。それ以外にもふらりと京の町を出歩くことがあった。自身の瞳でみ、耳朶できき、感じる為に。
局長であった近藤と出向く際には沖田や永倉など各組の組長を同道させた。そのなかには三番組の組長であった斎藤も含まれる。道中、闇討ちにしようなどという馬鹿な志士はいなかった。否、もしかするととち狂った馬鹿がいたかもしれぬが、それは坊が人知れず始末していたのかもしれぬ。それが組織的計画的なものでなく、衝動や偶然といった襲撃なら坊もいちいち報告しなかっただろう。
闇討ちされ、甚大な被害を蒙ったのはたったの一度きりだ。
謀殺した参謀伊東甲子太郎の信奉者たちによる局長近藤の襲撃。それにより近藤は右肩を撃ち抜かれ、一時期は刀が振れなくなったほどだった。もっとも、その程度で済んだのもその計画を知った坊の働きによるものだ。
伊東の信奉者たちは仇討ちを二組に別れて実行した。一つは近藤の襲撃。いま一つが沖田の襲撃であった。その時分沖田は病床にあり、戦うどころか刀を握ることすらできなかったのだ。
それを喰い止めたのも坊であった。近藤の妾宅で沖田を救った際にその襲撃者の心中をよみ近藤襲撃を知ったのだ。
局長の近藤は兎も角、土方自身は襲われたところで新撰組がどうということはない。局長の喪失による影響は多大だが副長なら替えがいる。さきの近藤襲撃は、ひとえに戦前による人員欠如を衝かれてのことだ。近藤が人員を自身の警固に割くことを拒んだのであった。それに応じた土方が後悔の念に苛まれたのはいうまでもない。
近藤にはつねに手厚い警固を、自身は身軽にという方針であった。土方は近藤を必要以上に立て、大切にしていた。
もっとも、土方は一人きりになりたいと思うことが多々あった。新撰組に関して考えねばならぬことがつねにあり、その多さが半端ではなかった。他出する際の道中など考え事をするのに最適な時間はない。そこにぞろぞろ用心棒が周囲にいれば鬱陶しくて集中できない。
そこで自身の二刀、というわけだ。自身の二刀は腕だけでなくすべて心得ている。こちらから話しかける以外は口唇を開かぬし、その存在すら消してついてくるだけ。気を許せて身の安全も確実に護られる。
それをどうして二刀以外を連れてゆけようか?
土方は愚痴をいい、思いや感情を吐露し考えを述べた。それらを二刀はただじっときいていた。そしてそれらが漏れることはいっさいない。
土方にとって、それは警固というよりかは自身の脳裏と心中との捌け口に利用していたことのほうが多かったのだろう。
視線を右斜め後ろを駆ける一刀に向けた。位置も昔と同じままだ。通常、左横か左後ろにつく。だが、右差しの斎藤はつねに右側に位置する。いまでもその習慣は抜けぬらしい。
そして眼前にはもう一刀が・・・。そこまで考えて土方ははっとした。
違う。おれはなにを錯覚している?
相貌を左右に振って抱いてはいけない感情を追い払った。
「父上、みえてまいりました」
そのとき、その一刀が富士の蹄の音に負けじと叫んだ。
いや、違うといっているだろう?またしても土方は心中で自身を呪った。
頭上で朱雀が弧を描いて飛翔している。そのさらに上空でお天道様がぎらぎらしていた。




